9月5日にフィレンツェである書籍の刊行発表会が行われた。作者は美術評論家のロベルト・マネスカルキである。書名は「ジョコンダ」。日本では「モナリザ」という名で知られる、世
界で最も有名なレオナルドの作品の別名である。

モネスカルキの専門は、ピエロ・デッラ・フランチェスカとレオナルド・ダ・ヴィンチであった。13年前、フィレンツェにある修道院で天使像を見たことが彼の研究生活を激変させた。その天使二人に、マネスカルキは「モナリザ」を見たからだという。

リーザ・ゲラルディーニが描かれた作品は世界に3枚

マネスカルキの主張はこうだ。「モナリザ」という名前で知られているリーザ・ゲラルディーニの肖像画は、世界に3枚ある。1枚はレオナルドが描いたルーヴル美術館所蔵のもの、あとの2枚はフィレンツェにあるというのだ。

マネスカルキは、2004年にフィレンツェにある「聖母マリアの下僕会修道院 (convento dell’Ordine dei Servi di Maria Santissima Annunziata ) 」において、現在は「軍事地理研究所」と使われている建物と修道院を分ける屋根裏部屋の一角でフレスコ画を発見する。この屋根裏部屋は、ユダヤ人が迫害されていた時代に身を隠していた部屋でもある。

マネスカルキはこのフレスコ画に描かれた天使二人が、「モナリザと瓜二つ」であることを発見、フレスコ画の作者を追った。その結果、そのフレスコ画を書いたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の一人であるモルト・ダ・フェルトレという男だと確信する。

モルト・ダ・フェルトレとはあだ名で、本名はロレンツォ・ルッツォ(ほかにも諸説有り)。当時、普及し始めていた「グロテスク様式」の装飾を描くために、彼は古代の地下道を観察するのが趣味であったとヴァザーリは伝えている。

また、ヴァザーリの言によれば、「聖母マリアの下僕会修道院の大学長ヴァレーリオの家具にフレスコ画を描いた。それは大変美しいものだった」のだそうで、その「大学長ヴァレーリオ」の独房が、先に述べた「ユダヤ人たちの隠れ家」であったのだ。

2005年、マネスカルキの強い要望で、イタリアの修復技術の権威輝石修復研究所がモルト・ダ・フェルトレのフレスコ画の修復に乗り出した。

古文書からも探った「モナリザ」の秘密

モネスカルキはさらに、古文書からもフレスコ画とリーザ・ゲラルディーニの関係を探り続けた。その結果、リーザ・ゲラルディーニの夫フランチェスコ・デル・ジョコンドは、有能な大商人であるとともに「聖母アリアの下僕会修道院」の法定両替商であり、修道院とも深い関係があることが判明したという。

レオナルドが描いた「モナリザ」は、1503年から1506年とされており、「聖母マリアの下僕修道院」の独房にモルト・ダ・フェルトロがフレスコ画を描いた時期と一致するのだそうだ。

モネスカルキは、仕事のために修道院に赴く夫に妻であるリーザ・ゲラルディーニが同行しており、その美しさを当時修道院長の独房にフレスコ画を描いていたレオナルドの弟子モルト・ダ・フェルトロが天使像として描いたのでは、と推測しているようだ。

BY.