ルーブル美術館は世界で最も有名な美術館であり、しばしば映画やドラマ、そして小説の題材となった。そんなルーブル美術館について、あなたが知らないであろう5つの真実をご紹介しよう。

1. ルーブル美術館は要塞として始まった

現在ルーヴル美術館として使用されているルーヴル宮殿は、12世紀にカペー朝第7代のフランス王フィリップ2世が要塞として建設したルーヴル城を基としており、当時の建物の面影が現在も地下室に残っている。(写真右)

セーヌ川に位置するシテ島は、中世においてもパリの中心地であり、都市の防衛という面で、街の中心を流れるセーヌ川自体が防御の弱点となっていたため、防衛要塞たるルーヴル城が建設されたのである。

2. その要塞は王宮をつくるために壊された

14世紀、フランス王シャルル5世はルーヴル城を改修し、「要塞」のイメージが強かったルーヴルを、規模は従来のままに華やかな「城館」(シャトー)へと造り替えた。

1546年にはフランソワ1世が、ルネサンス様式の壮麗な建物への改築を決定したが、宮殿の完成は1563年の建設開始から1世紀を要した。このフランソワ1世が収集した美術品、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』などが、ルーヴル美術コレクションの中核となってる。

3. 美術館の建物は一度放棄され、腐っていた。

1682年、ルイ14世は、それまでの歴代フランス王が宮廷としていたルーヴル宮殿から、ヴェルサイユ宮殿へと宮廷を移すことを決定した。王族が不在となったルーヴル宮殿は、芸術家たちの住居兼アトリエとして提供されることとなったが、放棄されたルーブルは、最終的に荒廃することとなった。

4. モナリザは常にルーブル美術館で展示されていたわけではなかった

フランス革命後、『モナ・リザ』はルーヴル美術館の所蔵となったが、ナポレオン1世がフランス皇帝だったときには、チュイルリー宮殿のナポレオン1世の寝室に飾られていた。

また、1870年から1871年に起こった普仏戦争時にはルーヴル美術館からブレスト・アーセナルに移されている。第二次世界大戦時には戦禍を避けて、アンボワーズ城、ロク・デュ修道院、シャンボール城を転々とし、最終的にモントーバンのアングル美術館に収められている。

5. ナポレオンは、一度自らの名前へと美術館を改称し、略奪品で溢れかえった

ナポレオン1世がフランスの実権を握り、ヨーロッパ諸国との戦争に勝利し続けたことによって、フランスの美術品コレクションは、諸国からの略奪美術品で溢れかえった。1803年にルーヴル美術館は「ナポレオン美術館」へと改名され、スペイン、オーストリア、オランダ、イタリアなどの美術品が収蔵された。

フランスの敗北後、略奪された美術品のもとの所有者たちは返還を求めたが、ルーヴル美術館の上層部はほとんど要求に応じず、略奪品の多くをプライベートコレクションに紛れこませ隠匿した。憤った諸国は、イギリスに返還への協力を求めた、これにより多くの美術品が返還されたが、そのまま残された美術品も存在している。

6. ルーヴルは、第二次世界大戦中にナチスによって盗まれたアート作品のための情報センターとなった

第二次世界大戦時には、多くの美術品がルーヴル美術館から避難した。第二次世界大戦直前にドイツ軍がズデーテン地方を併合したときには、『モナ・リザ』などの重要な作品が、ロワール=エ=シェールのシャンボール城へと移された。

戦争の勃発後には、『サモトラケのニケ』や『ミロのヴィーナス』といった重要な彫刻作品がアンドルのヴァランセ城 へと移されている。所蔵美術品の梱包に2日かけ、約4ヶ月をかけて、彫刻などの重量がかさむ作品と「地下室に所蔵されていた重要ではない絵画作品」を除いて、主要な作品はすべてルーヴル美術館から姿を消した。

1945年初頭、それまでドイツに占拠されていたフランスが解放されると、各地に分散していた美術品が元通りルーヴル美術館へと戻されていった。

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