1595年に20代のカラヴァッジョが描いた《音楽家たち》。ミラノ近郊からローマにやってきた駆け出しの画家カラヴァッジョの、強力なパトロンであったデル・モンテ枢機卿からの注文で描かれた作品である。

デルモンテ枢機卿は書籍と楽器の収集家として有名であったが、カラヴァッジョも多くの作品に楽譜を描いており、そのいくつかの楽譜は解読され、楽曲名が判明している。

ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有している《音楽家たち》は今夏、ナポリで開催される美術展「L’ospite ilustre」に出展されるためパラッツォ・ゼヴァロス・スティリアーノ美術館に到着した。7月23日までカラヴァッジョの《音楽家たち》をナポリで鑑賞することができる。

音楽家たち

描かれた楽譜は?

それに合わせて、音楽学研究家のドメニコ・アントニオ・ダレッサンドロが30年来の研究結果として発表したのが、《音楽家》に描かれた楽譜の素性だ。絵画のなかでは、こちらに背中を見せている青年が、楽譜を手にとって熱心に読んでいる構図になっている。

研究によると、この楽譜にはギリシア神話のイカロスを主題にしたソネット(14行から成るヨーロッパの定型詩)が記されており、その作詞は人文学者ヤコポ・サンナツァーロの手によるものだという。ダレッサンドロの仮説は、さらにこう広がる。

イカロスが父親の警告を無視して空を飛び、結果は太陽に翼を焼かれて墜落死するというギリシア神話のエピソードから、この絵画の注文主であるデル・モンテ枢機卿の峻厳なる性格を現しているのだという。

ただし1595年当時、24才であったカラヴァッジョに対して、デル・モンテ枢機卿は46才。20才以上も年上のパトロンに、暗黙であるにしろ、その性格に対しての訓告ができるかどうかまだ議論の余地はあるようだ。しかしデル・モンテ枢機卿は、文学、科学、音楽に精通した教養人で、その人をパトロンに持ったことはカラヴァッジョにとっても大きな意味があったといえるだろう。

カラヴァッジョのきっかけとなった作品

いずれにしても、《音楽家たち》は20代半ばのカラヴァッジョが、ローマの上流階級からその才能を認められるきっかけになった作品であることに変りはなく、今回の展示会はイタリアの美術専門家たち、またカラヴァッジョのファンのあいだで大きな話題になっている。

美術展「L’ospite illustre」の開催中には、カラヴァッジョが描いた楽譜について、またパトロンとの関係について学会も開催される予定だ。

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