メキシコ人画家フリーダ・カーロ(1907年‐1954年)が書いたラブレターが、2015年4月、ニューヨークで13万7千米ドルで落札された。落札者はニューヨークに住む収集家で、カーロのファンでもあるアーティストだ。
愛人への手紙
1946年から1949年にかけて書かれた25通の手紙は、合計100ページ以上にもわたりスペイン語で綴られており、夫のメキシコ人画家ディエゴ・リベラではなく、スペイン人の愛人ホセ・バルトリにあてられたものだった。
それぞれ2ページから12ページの計25通の手紙の他に、眠る猫のスケッチ、ビーズ、リボン、押し花、そして1946年のカーロの作品「希望の樹」に関する重要な記述のある写真も含む。バルトリが1995年に死去した後は彼の家族が所有していたが、2015年にオークションへ出されることとなった。
ニューヨークでの愛人との出会い
当時39歳だったカーロは、18歳の頃に通学中に使用していたバスが路面電車と衝突する事故の犠牲者となったことで、背骨の手術を受けるためニューヨークに滞在していた。その地で、スペイン市民戦争で戦い、後に強制収容所から逃亡してきたバルトリと出会うこととなる。
2人の関係は、カーロがメキシコへ帰国した後も3年間続いたと言われている。
官能的な熱烈さ
カーロ評伝の著者であるハイデン・エレーラはこれらの恋文について次のように述べている。
「官能的な熱烈さをあらわにしており、カーロの作品のように非常にまっすぐで私的な手紙である。胸の裂けるような孤独と、体に感じる痛みの惨めさに泣き叫んでいる。」
手紙は、カーロのリベラとの非常に個人的な関係にも言及する。1946年12月の手紙を基にエレーラは次のように述べる。
「カーロはリベラを深く慕ってはいたが、バルトリと住むためにリベラのもとを去ろうとしていた。カーロは、バルトリによって以前に感じたことのない愛情を得たと述べている。その愛は情熱的、肉体的、優しくそして母性愛に満ちていた。」
ヘレーラは、カーロ自伝の執筆のため生前のバルトリにインタビューしたが、バルトリに関しこう述べている。
「バルトリはカーロへの愛を失うことはなかった。カーロのことを尋ねると、彼は畏敬の念を持って、しかし同時に思う存分彼女のことを語ってくれた。カーロが愛の証として贈った小さな贈り物と恋文を、生涯宝物のように大事に持っていた。」
彼女の「真実」の手紙
更にエレーラは続ける。
「カーロは時折、バルトリが彼女の手紙を子供じみて、陳腐で馬鹿らしいと思うのではないかと心配していた。しかし彼女は、バルトリへ言った。恋文とは絶対賢くも馬鹿らしくもない、なぜならこの手紙は彼女の『真実』だから。そして『道を歩いている少女があなたが誰かも分からずに花を一輪くれたと思って』手紙を受け取ってほしいと頼んだ。」
カーロは1954年に47歳の若さで死去した。21歳年上のリベラは、3年後にそのあとを追った。バルトリは手紙やスケッチ、写真、そして押し花などを生涯大切に保管し、1995年に亡くなった後に家族によって発見された。