
基本情報
ピエト・モンドリアン(1872年~1944年)は、オランダ出身の画家である。1872年にオランダのアメルスフォールトに生まれ、絵描きが趣味だった祖父に連れられて郊外にスケッチに出るなど、幼少の頃から絵に親しんでいた。1892年、モンドリアンはアムステルダム国立美術アカデミーにて3年間絵を学ぶ。当初は印象派やポスト印象派の影響を受けた作風で絵を描いていたが、1911年にキュビスムに出会い感銘を受ける。翌年キュビスムを学び為パリへ移住した。ところが、自身の作品をピカソに見せたところ嘲笑されてしまい、ショックを受けたモンドリアンはここでキュビスムを諦めてしまう。1914年父親の病気でオランダへ一時帰国している間に第一次世界大戦が勃発し、パリへ戻れなくなった。そんな中、モンドリアンは画家のテオ・ファン・ドゥスブルグと出会い、意気投合した二人は1917年芸術雑誌「デ・ステイル」を創刊し、その中でモンドリアンは、「新造形主義」を提唱した。この「新造形主義」こそが、モンドリアンの思想の核であり、作風の根底となっている。1919年パリに戻ったモンドリアンは、デ・ステイルへの寄稿を続けていたが、1925年に共同創刊者のドゥスブルグと対立し、デ・ステイルを辞めてしまう。その後、1938年にはロンドンへ、1941年には戦火を逃れてアメリカへ亡命し、ニューヨークに移住する。モダニズムの端緒にあったニューヨークでは、モンドリアンの作品も認められるようになっていった。1944年風邪をこじらせ肺炎の為、ニューヨークで他界した。
作品一覧


夜の風景Ⅰ
ピエト・モンドリアン

夏の夜
ピエト・モンドリアン

赤い風車
ピエト・モンドリアン

花盛りの木
ピエト・モンドリアン

日の当たる風車
ピエト・モンドリアン

木々のある風景
ピエト・モンドリアン

黄、黒、青、赤、灰色の絵画2
ピエト・モンドリアン

書き物をする頭巾を被った少女
ピエト・モンドリアン

絵画111 楕円のコンポジシ・・・
ピエト・モンドリアン

グラスに挿したバラ
ピエト・モンドリアン

色面3のコンポジションNo.・・・
ピエト・モンドリアン

昇る月とヘイン河畔の5本の木
ピエト・モンドリアン

花盛りの林檎の木
ピエト・モンドリアン

婦人の肖像
ピエト・モンドリアン

農作業/畑で
ピエト・モンドリアン

用水路と橋と山羊
ピエト・モンドリアン

菊
ピエト・モンドリアン

砂丘風景
ピエト・モンドリアン

大きな赤の色面と黄、黒、灰色・・・
ピエト・モンドリアン

コンポジションB
ピエト・モンドリアン

格子のあるコンポジション8:・・・
ピエト・モンドリアン

格子のあるコンポジション3:・・・
ピエト・モンドリアン
