基本情報

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864年~1901年)は、フランスの画家、版画家、製図家、風刺画家、そしてイラストレータであり、19世紀後半のカラフルでドラマチックなパリの日々に没頭した彼は、魅惑的でエレガント、そして挑発的且つ退廃的で近代的な作品を世に送り出した。また、ロートレックは、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと共に、ポスト印象派時代の最も有名な画家の一人である。2005年にクリスティーズで行われたオークションでは、ロートレックの初期の作品で、若い選択女を描いた「洗濯女(1889年)」が2,240万ドルで落札され、芸術家作品の落札額に新たな記録を築いた。ロートレックは、1864年に南フランスのミディ=ピレネー地域圏のタルヌ県アルビで生まれた。父シャルル・ド・トゥールーズ・ロートレック・モンファ・アルフォンセ伯爵と妻アデール・ゾー・タピエ・ド・セレーンランは、いとこ同士での結婚であった。ロートレックが3歳の時に弟が生まれるが翌年に夭折。それ以降両親の仲が悪化した為、ロートレックは8歳で母親とパリで暮らすことになり、そこでスケッチを始める。母親はすぐに彼の才能を見抜き、父親の友人である画家のルネ・プリセントーが時々家を訪れ、ロートレックにレッスンをしていた。プリセントーは、ロートレックの天才的な進歩に驚嘆し、パリのアカデミズム肖像画家であるレアン・ボナットの元で学べるよう両親を説得した。その後、1882年にフェルナン・コルモンのアトリエに移り、5年間そこで学ぶ間に、エミール・ベルナールやフィンセント・ファン・ゴッホと出会った。1887年に学業を終えると、ロートレックはトゥールーズの博覧会に参加し、「ロートレック」という部分を「トレクラー」に変えて出品した。1889年から1894年まで、ロートレックはアンデパンダン展に定期的に参加。モンマルトルの様々な風景画を出品した。また、両親の近親結婚によって、ロートレックは骨に遺伝的な障害を持ち、15歳の時から両足の成長が止まってしまう。足が非常に短く慎重は140cmだった。自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦や踊り子のような夜の世界のマイノリティとして蔑視されていた女性達に共感を持つようになった。パリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」や他のナイトクラブのために作成したポスターは大人気で、この頃の作品がロートレックの代表作として知られるようになった。他にもイギリスのJ.&E. Bella社の広告ポスターやシンプソン・チェアの自転車広告をよく制作した。ロンドンでは、オスカー・ワイルドと出会い親交を深めた。ロートレックは、自身の肉体に対する偏見や差別の苦しさから逃れるように、アブサンなど強い酒に依存していった。アルコール依存症に加え、旺盛な性欲から売春婦と頻繁に肉体的交渉をもっていた為梅毒に冒され、心身ともに急速に悪化していった。1901年9月9日、ジロンド県の母親の邸宅、マルロメ城で両親に看取られ、36歳で脳出血のため死去した。

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