基本情報

オスカー・ココシュカ(1886年~1980年)は、オーストリア出身の画家、詩人、劇作家である。ココシュカは、ドイツ表現主義に分類されることもあるが、実際はどの流派にも正式に参加せず、独自のスタイルを追及した。ココシュカは、オーストリアのポケランで生まれ、貧しい幼少期を過ごしている。20歳でウィーン工房に参加し、装飾美術の仕事をし、挿絵入りの詩集を発表するなど、当時は絵画よりも詩人、装飾美術家として活動していた。1910年にベルリンにあるポール・カッシーラー画廊で初個展を開催。同年、フォルクガング美術館でも個展を開いた。また、ヘルヴァルト・ヴァルデンが編集した芸術雑誌「デア・シュトゥルム」では、表紙に肖像画を描いたり、1910年から1914年までベルリンとウィーンを行き来していた。1912年に、作曲家グスタフ・マーラーの未亡人マリア・マーラーと情熱的な恋愛関係になり、油彩画「風の花嫁」を発表する。数年後、アルマはココシュカの嫉妬深さに愛想を尽かして別れるが、ココシュカは別れた後もずっとアルマを愛し続けたと言われている。第一次世界大戦で、ココシュカは東部戦線に従軍し重傷を負う。1917年に回復するまでドレスデンに滞在し、1919年にドレスデン美術大学の教職に就く。翌年から10年程ヨーロッパ、北アフリカ、中東を旅し、1931年にウィーンに戻るものの、ナチス政権の圧力により、1935年にプラハへ移住し、チェコスロヴァキアの市民権を獲得した。ココシュカの作品は、ナチスから「退廃芸術」とされ、1938年にイギリスに亡命。同年にニューヨークのバックホルツ画廊で個展を開催した。第二次世界大戦時、ココシュカはスコットランドに妻と住んでおり、色鉛筆でのドローイングや地方の風景の水彩画を制作した。この時期に描いた友人の実業家フェルナンド・ブロッホ=バウアーやマリアン・アルトマンの肖像画を描き、これらは現在チューリッヒ美術館に所蔵されている。晩年、1974年ココシュカはイギリス国籍となる。また、1978年にオーストリア市民権を回復した。1953年にスイスのジュネーブ近郊のヴィルヌーブで教鞭を取り、後進の育成にあたった。1980年スイスのモントルーにて生涯を終えた。

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