基本情報

フランスの小さな町グラースに生まれたジャン・オノレ・フラゴナール(1732年生―1806年没)は1738年、家族と共にパリに移り住んだ。まだ10代の頃から、彼はジャン・シメオン・シャルダンの下にたった6ヶ月間だけ徒弟に出向き、その後フランソワ・ブーシェのアトリエにて働いた。彼は1752年にローマ賞を受賞し、ローマのフランス・アカデミーにて1756年から1761年にかけて勉強する以前の3年間、準備期間としてカルル・ヴァン・ローに師事した。フラゴナールはユベール・ロベールと共に風景画も描き、南イタリアやヴェニスを旅した。

1765年の展覧会によってフラゴナールはアカデミー会員の一員となる権利を得たが、彼は歴史画における公式なキャリアを手放した。個人客の依頼を受け気楽な好色画を描く方を好み、サロンでの展示はたったの2回のみであった。彼の稲妻のような筆遣いと快活な油絵は新たにロココ様式に活力を与えた。彼は神話や風景画、肖像画を描き、貪欲に広範囲の媒体で作品を制作し、その作品の中によく「Frago」と署名していた。フランス革命によってフラゴナールはそのキャリアを失い、貧しい生活を送る事となってしまった。彼の功績を称え、新古典派の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドは後のルーブル美術館となる施設にてフラゴナールを館長とし支援しようと試みた。新たな絵画の様式に適応できずに、フラゴナールはナポレオン政権下のフランスにて世に忘れ去られつつ、死去した。

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