基本情報

ヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441年)はブルージュで活躍していた初期のフランドル人画家であった。ファン・エイクは初期フランドル派芸術を創設したうちの一人であり、また北方ルネッサンス芸術の代表である最も重要な人物のうちの一人であると考えられている。初期の記録は少ししか残されておらず、その記録によると1380年から90年にかけてマースエイクで生まれたとされている。1422年頃、すでに名画家として工房で働いていた時に、ホーラント、エノーを統治していたハーグのヨハン3世に画家として雇われた。1425年にヨハン3世が死去した後、リールのブルゴーニュ公フィリップ3世に宮廷画家として迎え入れられ、1429年にその後の残りの生涯を過ごすことになるブルッヘに移り住むまでリールで働いた。

聖バーフ大聖堂の『ヘントの祭壇画』(兄フーベルトとエイクによって15世紀に描かれた祭壇画)や『トリノ=ミラノ時祷書』とは別に、1432年~1439年の間で約20点もの作品がファン・エイクによって制作されたと言われている。そのうちの『ヘントの祭壇画』を含む10点は、名前と日付の他にファン・エイクのモットーであった『ALS IK KAN』(As I can =私ができたように)という文字がギリシャ文字で書かれていた。

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