基本情報

エゴン・シーレ(1890年~1918年)は、オーストリアの画家で、ウィーン近郊のトゥルンで生まれた。15歳で鉄道員だった父親を梅毒で亡くし、その後、叔父のレオポルドに育てられた。シーレは、幼少の頃から絵の才能を発揮し、16歳でウィーン工芸アカデミーに入学。その後、ウィーン美術アカデミーへ進学した。ところが、アカデミーの形式主義に嫌気がさしたシーレは、グスタフ・クリムトに師事するようになる。クリムトもシーレの才能を認め、モデル代の立て替えや、ウィーン工房への推薦など面倒見良く可愛がっていたとされる。クリムトの全面的な支援もあり、1908年18歳で個展を開催し、翌年にはアカデミーを退学。自身のアトリエを持った。クリムトが開催した、フランス印象派の絵画展で、シーレは初めてフィンセント・ファン・ゴッホの作品を見て、その自由で生き生きとした作風に衝撃を受け、多大な影響を受ける。そこから創作意欲に駆られたシーレは、アカデミーの制約から解放され自由な創作を繰り広げた。死や性行為など倫理的にタブー視されるテーマを強調するような作品を生み出していった。1911年、シーレは自身の作品のヌードモデルをしていた17歳の少女ヴァリ・ノイツェルと同棲を始めた。田舎町のクルーマウに移り住むが、住民に嫌われ、住めなくなり、ノイレンクバッハへと逃れた。シーレは、ノレインバッハでも、少女をアトリエに引きずり込むという悪癖は直らず、ついに誘拐罪で逮捕されてしまう。アトリエからは少女たちの裸の絵が見つかり、結局禁固24日の刑に服した。1914年、シーレの近所のアデーレとエディトという姉妹がシーレに恋をした。姉が裕福であった為、シーレはヴァリを捨て妹のエディトと結婚した。姉のアデーレとも肉体関係を続けていたと言われている。第一次世界大戦で徴兵されるも、芸術家を重用する軍の計らいで前線には立たず、捕虜収容所の看守を務めた。1918年、第49回ウィーン分離派展に、シーレは50点以上の作品を展示し、注目を集めたが、同年流行したスペイン風邪により妊娠中のエディトが死去、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去った。享年28歳だった。

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