作品概要
《サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂》は、画家のミケランジェロ・ブオナローティによって制作された作品。制作年は1563年から1564年で、ローマに所蔵されている。

《天使たち、殉教者たちの聖母マリアのバシリカ》とは、ローマにある枢機卿の聖堂のことであり、共和国広場にあるディオクレティアヌス帝の公衆浴場内部にあるフリギラリウム(冷水のプールがある部屋)に建てられている。
聖堂の司祭枢機卿は、ウィリアム・ヘンリー・キーラーである。聖堂は、キリスト教の有名な殉教者、または無名の殉教者に捧げられている。
奉納の発案
1561年7月27日の書簡によると、ピウス4世は、聖堂を「もっとも神聖なる聖女マリア、そして天使たちと殉教者たち」へ捧げるため、建設を命じた。
この奉納のきっかけは、「天使のような王子」の正式な崇拝を、教皇に承認してもらうため10年間活動をしていたシチリア修道士のアントニオ・デル・ドゥーカによるものであり、公衆浴場の老朽化した遺跡に1541年に発案された。
改築
「殉教者」とは、公衆浴場の建設に携わったキリスト教徒の奴隷労働者のことであり、これは近代の話である。後陣の司教座に、教皇ピウス4世の記念碑があり、当時全盛をきわめた彼の墓もある。
ミケランジェロ・ブオナローティは、1563年から1564年にかけて、聖堂を囲む公衆浴場の建物を部分的に残し、改築する作業を行った。1749年のルイージ・ヴァンヴィテッリの指揮による、のちの幾つかの改築は、外観だけは、壮大で調和的なミケランジェロ風にするよう注意して行われた。
建築空間
《サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂》で、ミケランジェロは、先例に従い、支持者と共に、史上空前のシークエンスデザインによる建築的空間を作り上げた。
本当の正面ではなく、公衆浴場の主空間にある、湾のような後陣のひとつの内部に、シンプルな入り口がある。建築様式は、高い翼廊、両端に立方体の聖堂、横の身廊から成るギリシャ式十字架型の方式がとられている。両側にある聖堂のひとつで、傾斜した角にある連廊に、サルバトール・ローザの墓がある。カルロ・マラッタの屋根が、向こう側の袖廊へと続いていて、もうひとつの連廊に、ジャン=アントワーヌ・ウードンによる実物大の「聖ブルーノ(ケルンのブルーノ)」がある。
ミケランジェロが床に平らなセイチェント通路を作り上げた、高さ28メートルのフロアと、長さ90.8メートルの偉大なアーチ形天井の翼廊は、ローマ建築の壮大なスケールが印象的な聖堂を作り上げている。床をあげることで、脇の空間と翼廊を明確に表現する赤い御影石のローマ式の円柱の先端を区切っている。このように、ミケランジェロは、両端に広大な立方体の空間をもつ幅27メートルの翼廊を造った。
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