作品概要

すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》は、画家のエドゥアール・マネによって制作された作品。制作年は1872年から1872年で、オルセー美術館に所蔵されている。

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『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』は、1872年にエドゥアール・マネによって制作された油彩である。黒の喪服を纏い、ほとんど見えないがすみれの花束をつけた画家仲間のベルト・モリゾを描写している。この絵画はベルト・モリゾの肖像画として知られており、『黒い帽子のベルト・モリゾ』『黒い帽子をかぶった若い女性』とも呼ばれている。パリのオルセー美術館に所蔵されている。

来歴

マネは生前、この作品をコレクターであり芸術評論家でもあるテオドール・デュレに売却、あるいは譲渡し、デュレが所有していたが、1894年にデュレのコレクションセールで今作のモデルであるモリゾ自身が、5100フラン支払って入手した。1895年にモリゾが亡くなり、モリゾの娘であるジュリー・ルーアーが1966年に亡くなるまで所有していた。その後、息子のクレマン・ルーアーのコレクションになった。そしてパトリモイン基金、マイヤー基金、チャイナタイムズグループからの資金と日経新聞の後援により、1998年よりオルセー美術館の所蔵となっている。

マネとモリゾとの関係性

1868年にマネとベルト・モリゾは知り合った。モリゾはフラゴナールの姪であり、画家でもあったので、モリゾとマネはお互いの作品に影響を与えていた。マネは、初期の作品『バルコニー』を含むいくつかの作品の中にモリゾの肖像画を描いた。その後、モリゾはマネの弟ウジェーヌと1874年に結婚している。

1870~1871年独仏戦争の間、マネはパリに留まっており、州兵としてパリの包囲戦で街を守った。1871年1月末にパリが占領された後マネはパリを去ったが、1871年5月のパリコミューンの失敗の後パリに戻り、州兵として仕えている間は絵を描く事ができなかったものの、1871年後半に絵を再び描き始めた。

この『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』は、1872年に制作され、モリゾの肖像画の四つのうちの一つである。その他の肖像画は、ピンク色の靴を履き、扇子とベールを纏っている。

作品詳細

この『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』は、サイズは40.5×55.5cmで、”Manet 72”と右上角にサインされている。色を使わない黒の陰影だけで表現された絵画の見本でもある。

マネの肖像画にとって等しい光は非常に珍しく、モリゾは片側から光をあてらているので、彼女の右側が明るく照らされ、左側は深い影になっている。モリゾは、喪服と黒い帽子を身に纏い、黒のリボンとスカーフで顔を囲まれている。モリゾの瞳は本当はグリーンだが、マネは黒い瞳を描いた。この衣装と黒い瞳は、モリゾの見た目がスペイン人だと言うマネの考えを表している。マネはこの作品によく似ている、暗い背景の中に黒い喪服を着た彼の母親を描いた作品を1863年に制作していた。

すみれの花束はとても分かりづらいが描かれている。マネはすみれを1866年制作の『女性とオウム』の中にも描いている。

また、この絵画に似たエッチングとリトグラフが作られ、マネは、モリゾの父親であるエドム・ティバース・モリゾが亡くなった後に、喪服を着たモリゾのよく似た絵画を制作した。

今作の評価

この絵画は、マネの代表作として考えられている。

1932年にオランジュリー美術館で開催されたマネ回顧展のカタログの中で、ヨハネス・フェルメールと比較して「マネの作品の中で1872年のベルト・モリゾの肖像画を超えるものはない。」とポール・ヴァレリーによって賞賛された。

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基本情報・編集情報

  • 画家エドゥアール・マネ
  • 作品名すみれの花束をつけたベルト・モリゾ
  • 英語名未記載
  • 分類絵画
  • 制作年1872年 - 1872年
  • 製作国フランス
  • 所蔵オルセー美術館 (フランス)
  • 種類油彩 カンヴァス
  • 高さ40.5cm
  • 横幅55.5cm
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