作品概要

出産の聖母》は、画家のピエロ・デラ・フランチェスカによって制作された作品。制作年は1459年から1465?年で、モンテルキ「出産の聖母」美術館に所蔵されている。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた「出産の聖母」は、彼の母の出身地モンテルキにある作品である。モンテルキの街の人々は、「出産の聖母」を街のアイデンティティーとして愛し続けてきた。

制作年は、1455年から1465年の間とされているが、研究者たちは1459年に母親の葬儀のためにモンテルキに赴いたピエロ・デッラ・フランチェスカが、この作品を描いたのではと推測している。また、当時はすでに一流の画家、数学家として名前が知られていたピエロ・デッラ・フランチェスカが、モンテルキのような小さな町の教会にこのような大作を残すということ自体が、母親への思いを語っているのではという美術史家も多い。

「出産の聖母」は、モンテルキのサンタ・マリア・ディ・モメンターナ礼拝堂に描かれていた。しかし、1785年頃、この礼拝堂が壊されて町の墓地が建設されることになった。壁に描かれていたフレスコ画の「出産の聖母」は、なんと1889年まで美術史家に発見されるまで破壊された教会跡に放置されていた。1911年に、ようやくイタリア政府によってピエロ・デッラ・フランチェスカの故郷サンセポクロに移動。その後も、あちこちに移動させられ、最終的にモンテルキのもと学校であった建物に保管されることになった。

しかし、注文主もはっきりしない「出産の聖母」をめぐり、モンテルキの市民とキリスト教会がその所有を巡って裁判になるという事態になっており、作品は現在も安住の場所を得ていない。モンテルキには、ピエロ・デッラ・フランチェスカ」の「出産の聖母」だけを鑑賞しに訪れる美術愛好家も多く、また安産や懐妊を願う女性たちもよく訪れることで知られている。

「妊娠した聖母」というテーマは、1300年代にトスカーナで流行したテーマであった。お腹がふっくらとした聖母像は、ベルナルド・ダッディやタッデーオ・ガッディといった中世の画家たちも描いている。しかし、「出産の聖母」というテーマは非常に珍しく、後年のトレント公会議では妊娠中の聖母や出産の聖母を描くことは禁じられた。

そして、ピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた「出産の聖母」に登場する聖母は、聖母であることを示す聖書や花も手にしていない。重くなったお腹を支えるように、左手を腰に当て、右手は開こうとする腹部に当てられている。頬が赤く、いかにも健康そうな妊婦といった雰囲気である。それぞれ緑色と赤色の衣服を身につけた天使が、その両脇でカーテンを広げているという構図である。二人の天使の視線は、我々のほうに向けられていて、関心を惹こうとしているようだ。

特異なテーマで描かれたピエロ・デッラ・フランチェスコ独自の聖母、それが「出産の聖母」なのである。


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基本情報・編集情報

  • 画家ピエロ・デラ・フランチェスカ
  • 作品名出産の聖母
  • 英語名未記載
  • 分類絵画
  • 制作年1459年 - 1465?年
  • 製作国イタリア
  • 所蔵モンテルキ「出産の聖母」美術館 (イタリア)
  • 種類フレスコ画
  • 高さ260cm
  • 横幅203cm
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