作品概要
《ロッテルダムのエラスムス》は、画家のアルブレヒト・デューラーによって制作された作品。制作年は1526年で、大英博物館に所蔵されている。

エラスムスの人物像
デシデリウス・エラスムス(1467-1536年)は、アルプスの北側で最も名高い人文学者であり、ある点においては、宗教改革の先駆者でもある。彼はイングランドで、トマス・モアとも親交を結ぶ。晩年はスイスのバーゼルで出版業者のアドバイザーとして活動するなど、国際的に名声を得た人物であった。
背景
デューラーは『ネーデルラント旅日記』のブリュッセルで書かれた1520年8月31日条に次のように記している。「私は(自分の作品である)『銅版画受難伝』をロッテルダムのエラスムスに進呈し、彼の姿をもう一度スケッチした」。
また1525年1月8日付けの、デューラーの親友ピルクハイマー宛ての書簡で、エラスムスは次のように書いている。「デューラーによるあなたの肖像を受け取りました。私も彼に肖像を描いてもらえればと思います。ブリュッセルで彼は私の姿を素描しましたが、銅版画にすることは中断しているようです」。
ピルクハイマーに促されたのか、1526年にようやくデューラーはエラスムスの姿を銅版画にした。エラスムスはピルクハイマーに喜びの手紙を送っている。
作品の特徴
エラスムスの肖像画は、技巧的には同年に描かれた『フィリップ・メランヒトンの肖像』より勝っているが、真に迫っているという点では、メランヒトン像の方がより優れている。周囲の装飾には最新の注意が払われているが、肝心の本人には生気がないのである。
デューラーはあらゆる努力を払って、「教養があり、敬神の心を持った人文学者」の像を仕上げたが、その静かで皮肉なウィットに富んだ彼の魅力までは捉えきれていない。
それはおそらく、デューラーがエラスムスに会ってから銅版画に仕上げるまでに時間が経ち、記憶を補うためにクエンティン・マサイスによるエラスムスの肖像付きメダルを利用したからであろう。
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