作品概要

アテナイの学堂》は、画家のラファエロ・サンティによって描かれた作品。制作年は1509年から1511年で、バチカン宮殿、署名の間に所蔵されている。

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盛期ルネサンス(1490年-1530年)の1508年、25歳の画家ラファエロ・サンテイは年老いたローマ教皇ユリウス二世によってバチカン教皇庁に召喚された。通称ラファエロは、署名の間を含むローマ教皇居室を装飾するという人生最大の任務を命じられた。署名の間は、バチカン宮殿の三階に位置する教皇ユリウス二世の書庫で、ラファエロは1509年から1511年にかけて有名なフレスコ壁画「アテナイの学堂」(伊:Scuola di Atene)を手掛けた。

ルネサンス期を代表する絵画の一つと考えられる「アテナイの学堂」は、署名の間で最初の作品「聖体の論議」の後、向かい側の壁に描かれた。署名の間の題材は、ギリシア哲学的世界観とキリスト教精神の調和であり、ルネサンス芸術を育んだ代表作の一つである。

年長のミケランジェロ(1475年-1564年)のライバルとして知られるラファエロは、教皇居室のバチカン宮殿中のラファエロの間として知られる4部屋の装飾に従事し、1520年に没するまでローマに留まり歴代の教皇に仕えた。

署名の間

署名の間には、ラファエロの最も有名な三作品「アテナイの学堂」、「パルナッソス山」そして「聖体の論議」が描かれている。壁面ごとに、主要な学問の分野である神学、詩学、哲学、法学の一分野を描写する。

「アテナイの学堂」は哲学をテーマとし、プラトンやアリストテレスを始め、古典古代の学問を象徴する古代ギリシア哲学者が描かれている。数学、文法学、音楽を象徴する哲学者・科学者は他の人物をモデルに描かれ、一方で幾何学者、天文学者、修辞学者、倫理学者も登場する。

壁画上部には壮大なアーチ型天井があり、それは建築家ドナト・ブラマンテが設計したローマのサン・ピエトロ大聖堂を模したものである。「アテナイの学堂」は、署名の間に描かれたの最初のフレスコ壁画ではなかった。初期ルネサンス期の画家、ピエロ・デラ・フランチェスカ(1415年-1492年)、ペルジーノ (1450年-1523年)、ルカ・シニョレッリ (1445年-1523年)の作品によって既に装飾がなされていたが、教皇ユリウス2世は内装装飾の全面的な改修をラファエロに依頼した。

構成

このフレスコ画は素描の傑作であり、理性から得る自然な真実を象徴する。遺跡フォロ・ロマーノのコンスタンティヌスのバシリカの影響を受けた、格天井と付柱を特徴とする巨大なバシリカのアーチ型天井の建築様式を特徴とする。そのアーチ型天井の下に、アポローンとミネルヴァの彫像、そして盛期ルネサンスの芸術家やその後援者と並び、古代の哲学者・科学者が議論に熱中したり沈黙する様が描かれている。

透視投影図法を用いることにより、信じがたいほどの遠近感の錯覚が生まれる。中央には、白鬚のレオナルド・ダ・ヴィンチがモデルとなったプラトンがおり、自著「テイマイオス」を片手に持ち、もう一方の手で自らの学説イデア論の中心である天を指さしている。その隣にはアリストテレスが、自著「ニコマコス倫理学」を片手に、もう一方の手のひらで地面を示している。

この2人の哲学者とその身振りは、哲学者マルシオ・フィチーノが説いた哲学の核心である。つまりアリストテレスのジェスチャーは前向きな精神を象徴し、プラトンの垂直なジェスチャーはさらに上質な特性である思想の熟考を示唆している。

左手には、オリーブ色のマントを身にまとったソクラテスが、クリュシッポス、クセノポン、アイスキネス、アルキビアデスらとともに議論をしている。ベネチアの偉大な科学者ゼノンと対面しているのはエピクロスで、ブドウの葉を身にまとい、恐らく快楽主義論を説いているものと思われる。

ターバンを巻いたアヴェロエスを含む弟子達が丁重に従うのは、本を手に最古の福音書を説くピタゴラスである。その真正面に位置するのは、クセノクラテスである(パルメニデスという説もある)。頬杖をつき悲しげな様子で最も目立つ位置にいるのはヘラクレイトスで、ミケランジェロがモデルだと言われている。

現在ミラノのアンブロジアーナ図書館に所蔵されている本作品のデッサンは、システィーナ礼拝堂天井画に見られるシビュラやイニューディをモデルとしており、ミケランジェロの作風が明白に表れている。そのデッサンには、ヘラクレイトスは描かれておらず、ラファエルは署名の間の絵画を描き終わった後、未完成のシスティーナ礼拝堂天井画を目にした1511年に、ヘラクレイトスを追加したものと考えられている。

偉大なライバルへの称賛の印として、ラファエルはこのエフェソス出身の哲学者にミケランジェロの肖像画を描いた。エピクロスの隣にいる子供は、多くの研究家の仮説とは異なり、フェデリコ・ゴンザガ(1500年-1540年)であろう。この人物は後のフェデリコ二世で、ルネサンス文化の後援者や収集家を多く輩出した、名家ゴンザガ家のマントヴァ候位を継承した。白い半透明の古代ローマの外衣をまとい、ダ・ヴィンチ風の笑みを浮かべた通行人は、恐らく教皇ユリウス二世の甥で後のウルビーノ公となった、フランチェスコ・マリーア一世・デッラ・ローヴェレ(1490年-1538年)と思われる。

さらに右手でくつろいだ様子で階段に腰かけているのは、多くの哲学者によって異論を唱えられたディオゲネスである。アリストテレスの右手前景には、盛期ルネサンスの建築家ドナト・ブラマンテ(1444年-1514年)をモデルとした、数学者エウクレイデスがかがみこみ、コンパスを手に定理を説いている。ブラマンテは、教皇ユリウス二世に仕えた建築家で、ウルビノ出身のラファエロの遠縁にあたる。彼はラファエロのローマ召喚のきっかけを作った人物であり、ラファエロはブラマンテの上着の金色の飾り縁にその名前を刻み感謝の意を示した。その右手には、金色の王冠をかぶった地理学者プトレマイオスが、地球儀を手にしている。

対面しているのが天文学者ザラスシュトラで、天空儀を持っている。彼らの横で絵画を見る者に対面している若者は恐らくラファエロ本人で、白いローブを身にまとったソドマと共に表れている。ソドマは、ラファエロの前に署名の間の天井装飾を担当していた画家である。

ラファエロの他の作品同様、本作品の重要な特色は、ルネサンス期特有の豊かな色彩にある。その色使いは何人かの登場人物を強調し、本作品を見る者の注意を引く。いくつかの色合いが目印の役割を果たしているのを、実際の作品で確認して頂きたい。

盛期ルネサンスの傑作

フレスコ画「アテナイの学堂」は、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の創成記の完成に先駆け、傑作と評された。その絵画的発想、形式の美しさ、テーマの一致は、教皇庁、芸術家、後援者、収集家から高い評価を得た。

レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》や《最後の晩餐》、そしてミケランジェロのフレスコ画と並び、盛期ルネサンスの精神を具現化したものである。

ラファエロの絵画に対し需要が増えたことにより、フレスコ画作成を弟子に任せることを余儀なくされた。ジャンフランチェスコ・ペンニ(1496年-1536年)、ジュリオ・ロマーノ (1499年-1546年)、ペリノ・デル・ベガ(通称ピエロ・ブオナコルシ(1501年-1547年)といった画家たちである。

ラファエロは、「システィーナの聖母」(1513年-1514年、ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館所蔵)、「キリストの変容」(1518年-1520年、バチカン美術館所蔵)などの祭壇画や、数多くの宗教を題材とした絵画の他、「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像画」(1514年-1515年、ルーブル美術館所蔵)や「ローマ教皇レオ10世と枢機卿」(1518年、フィレンツェ、ピッティ宮殿所蔵)といったいくつもの著名な肖像画も残した。

イタリアルネサンス期の巨匠ラファエロは、間違いなく芸術史上最高の芸術家の一人である。

基本情報・編集情報

  • 画家ラファエロ・サンティ
  • 作品名アテナイの学堂
  • 制作年1509年-1511年
  • 製作国イタリア
  • 所蔵バチカン宮殿、署名の間 (イタリア)
  • 種類フレスコ画
  • 高さ5000cm
  • 横幅7700cm
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