作品概要
《イザベラ・デステの肖像》は、画家のレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された作品。制作年は1499年から1500年で、ルーヴル美術館に所蔵されている。

1499年にフランス軍がミラノに侵攻してきたためレオナルド・ダ・ヴィンチはそこを去らねばならなかった。彼はヴェネチアに向かったが、その途上のマントヴァに立ち寄った際、その地の領主の妻であったイザベラ・デステに肖像画を描くよう求められた。
この素描の保存状態はよくないが、それにもかかわらずこの素描はレオナルドの最も優れた側面観の頭部肖像の一つである。
イザベラ・デステ
フェラーラ公の娘として生まれたイザベラ・デステは十六歳でマントヴァ侯ジャンフランチェスコ二世と結婚し、夫が捕虜になった際には優れた政治的手腕によって侯国を守った。夫の死後は息子を支えてマントヴァの侯国から公国への昇格を実現した。彼女はまた文芸や芸術の保護者でもあった。
ティツィアーノやベッリーニを保護していたが、彼女は自分の肖像画を当代最高の画家に制作させたいと望み、レオナルドに白羽の矢が立った。
代表作への布石
しかし再三の催促にもかかわらずレオナルドがこの肖像画をきちんと仕上げることはなかった。レオナルドは通常素描に彩色することはなかったが、この作品ではイザベラの頬や襟のふちに彩色が施されている。
明確な輪郭線や空間の使い方、ねじれた肩の線の処理など1490年代におけるレオナルドの実験の集大成がこの作品に実現されており、以降の《聖母子と聖アンナ》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)や《モナリザ》(パリ、ルーヴル美術館)などの作品を予告している。
モナ・リザとの類似
イザベラ・デステはしばしば有名な《モナ・リザ》のモデルと考えられることがあった。それはこの素描と《モナ・リザ》の類似のためである。重ねられた手やわずかに微笑んだ口元に共通点があるとされた。
しかしこの共通点は、同じモデルを使用したからというよりもむしろ、レオナルドが非常に生き生きとした、それでいて普遍的な美を表現する肖像画を描くことができたということを示しているのだろう。
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