作品概要

バルトロメ・スレダの肖像》は、画家のフランシスコ・デ・ゴヤによって描かれた作品。制作年は1803年から1804年で、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)に所蔵されている。

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バルトロメ・スレダ・イ・ミセロール(1769~1850)は、スペインの職工であった。彼は、レアル・ファブリカ・デ・ポルセラーナ・デル・ブエン・レティーロと、グアダラハラにあるレアル・ファブリカ・デ・パソと、レアル・ファブリカ・デ・ロサ・デ・ラ・モンクロアと、レアル・ファブリカ・デ・クリスタレス・デ・ラ・グランハの管理者として勤めた。

スレダは、1800年にフランスで磁器と織物の製造業の教育を受けた。そして、1803年にスペインに戻り初めて労働指揮を任され、1807年にレアル・ファブリカ・デル・ブエン・レティーロの管理者となった。ここで彼は、硬ペーストの磁器を発展させる。これは、その工場の高品質の製造と財務進歩を進めるに至った。

1808年のフランス侵略と1812年の来るべき工場の破壊のため、スレダはフランスへ戻った。1817年に彼がマヨルカ島にいることがわかり、「毛織物の製造工業」に必要とされた。彼は、グアダラハラのレアル・ファブリカ・デ・パソの指揮官として呼び戻され、レアル・ファブリカ・デ・ラ・モンクロアの指揮の責任をも与えられた。

1817年、ブエン・レティーロは、王立磁器工場とモンクロアの薄土陶器工場となって引き継がれた。破壊された工場のすべての従業員は、新しい工場に再雇用された。そしてスレダは1820年までその管理者を務めた。1822年、彼はレアル・ファブリカ・デ・クリスタレス・デ・ラ・グランハの管理者となった。彼は王立への仕えを引退後、1829年11月13日マヨルカ島へと戻った。

彼は1803年9月2日にパリからブエン・レティーロへ呼び戻され、1803年10月から工場で働き始めている。これは、肖像画が1803年~1808年のスレダと彼の妻の者であるということを確証している。妻の肖像画は、1799年のヴィンテージコステュームを身にまとっている。

ブエン・レティーロで働いていた時、スレダはセーブル磁器に似た硬磁器に要されるすべての原料(カオリンと石灰粉化したスキャポライトを除く)を使用した。その代用品として鉛は彼の作品には使われなかった。彼は、上薬をかけるために純粋な長石融剤(コルメナール・デ・オレハで手に入れた長石)を使った。

彼は、マドリードに近い用地から未加工の原料(バレカスのスキャポライトとガラガールのすい石)を引き出した。彼が開発したマグネシウムペーストは、ブエノ・ポーセリンの製造工業で広く使われ、温度変化により熱した独特の化学合成物であると考えられた。

彼は、ゴヤのペインティングスタイルを理解していた。後に彼はメノルカ島へ退き、風景・宗教テーマ・一般的なシーンの絵を描くという彼の大望のために時をゆだねた。彼は1850年5月10日に亡くなった。彼の息子、アレハンドロ・スレダは著名な建築家となった。

基本情報・編集情報

  • 画家フランシスコ・デ・ゴヤ
  • 作品名バルトロメ・スレダの肖像
  • 制作年1803年-1804年
  • 製作国不明
  • 所蔵ナショナル・ギャラリー(ワシントン) (アメリカ)
  • 種類キャンバス、油彩
  • 高さ120cm
  • 横幅79cm
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