作品概要
《トラファルガーの海戦》は、画家のウィリアム・ターナーによって制作された作品。制作年は1806年から1808年で、テート・ギャラリーに所蔵されている。

ウィリアム・ターナーによる「トラファルガーの海戦」は、トラファルガーの海戦の翌年、1806年に描かれ、1808年にかけて加筆作品である。ターナーは1822年にも同じ主題で作品を書いており、後期の作品の方が本作品よりも有名であるため、本作品の末尾には制昨年が記載されることが多い。
このときターナーは31歳、ロイヤル・アカデミーの会員として、油絵の技法を水彩画に応用する方法や、絵のコントラストを強調する技法を模索・研究している時期であったが、画面全体がやや暗い色で描かれ、船の帆もはっきりとした線描で描かれていることから、ターナー初期作品の特徴の強い作品と言えるだろう。
ヨーロッパがフランス帝国の支配下にあった当時において、イギリスは海上の支配権をかろうじて有していた。それは、イギリスの帆船(戦艦)製造・操舵技術の高さによるところ、島国としての地理的有利であった。1805年、ナポレオン1世率いるフランス軍はついにイギリス本土上陸を目指し、連合艦隊とともに侵攻したのである。
本作品で描かれている船、画面中央に右舷を見せる艦船は、ネルソン提督率いるイギリス軍の旗艦、「ヴィクトリー号」である。この船名は、本作品の副題にも入れられている。スペイン、トラファルガー岬で激突した両者は、特に連合艦隊側に甚大な被害を出し、イギリス軍の勝利に終わる。
しかし、ネルソン提督は戦闘中の負傷により、勝利の報を聞いて間もなく、船上で還らぬ人となる。本作品は、戦死したネルソン提督の遺体とともにヴィクトリー号がメドヴェイ河に入港した際のスケッチを元に描かれたと言われている。
ターナーはこの時、船ばかりでなく乗組員の表情や服装と言った仔細に渡るスケッチを行っており、歴史的勝利、それを率いた英雄の無言の帰還、その真実を間近に感じられる作品を目指したのである。
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