作品概要
《泣く女》は、画家のパブロ・ピカソによって制作された作品。制作年は1937年から1937年で、テート・モダンに所蔵されている。

泣く女
本作は、1937年に描かれた「泣く女」シリーズのなかでも最も有名な、イギリスのテート・ギャラリーに所蔵されている作品。写真家であり絵も描いた愛人ドラ・マール(本名、アンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ)をモデルにした、有名な作品の一つ。
ドラ・マールをモデルに描かれた作品には《ドラ・マールの肖像》など油彩に限らず他にもあるが、最もよく知られるのはこの《泣く女》である。ただし「泣く女」をモチーフとした作品には100種類以上のバリエーションがあるといわれる。
同時期に付き合っており、芸術に関心を示さなかったマリー・テレーズとは対照的に、自らも芸術活動を行うことから、教養も高くピカソの良き理解者であった。
しかし、愛憎の繰り返しが彼女を不安定にし、精神の病が彼女を苦しめ、ピカソは彼女をよく泣く女性であったと表現した。
作風
《泣く女》の作風は多岐にわたる。目玉が飛び出るほど泣く女。嘆き悲しみ泣く女。ハンカチを食いしばって泣く女。空に叫ぶかのように泣く女。どれも青や黒、黄、赤、緑、橙など、多色に描かれている。また、《ゲルニカ》のように、泣く女の一部はモノクロで書かれてる場合もある。
見たままを描いた写実的な作品ではなく、キュビスム初期(1906?09年頃)に開発した、複数の視点から見た画像を一つの画面に表現する描き方を取り入れた。
ゲルニカとの関連
ピカソの代表的な作品《ゲルニカ》にも、泣く女は登場する。ゲルニカ左下部にある兵士の上には「死んだ子供を抱きかかえてなく母親」がある。これも名称はちがっていれど、泣く女に影響してくる。
死んだ子供は白目をむいて手も足も垂れ下がっている。それを抱きかかえる母親は泣きに泣いて天に向かって叫んでいるように思えるほどである。口の中から飛び出るように出ている舌がその証拠である。
泣く女として書かれている《ゲルニカのための習作》は飛びだした目、鏃(やじり)の形をした鼻孔、そしてひどくとんがった舌が代表的。
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