作品概要
《我が子を食らうサトゥルヌス》は、画家のフランシスコ・デ・ゴヤによって制作された作品。制作年は1819年から1823年で、プラド美術館に所蔵されている。

ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノスに相当)が将来、自分の子に殺されるという預言に恐れを抱き、5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにしている。
自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれ、伝承のように丸呑みするのではなく自分の子を頭からかじり、食い殺す凶行に及ぶ様子がリアリティを持って描かれている。
「黒い絵」の制作
1819年から1823年、ゴヤはボルドーへ移り住み、家の壁上に直接油絵具で描いた14の連作を製作している。これらは今日「黒い絵」として知られており、作品はその中のひとつで、当時一層酷くなっていたスペインの市民闘争によりイメージされた。
これらは公的な展示のために依頼されたものでは決してなく、悪と闘争を彷彿とさせる激しく暗い雰囲気である。
勃起した陰茎
息子の頭と左肩はすでに食べられており、巨人は次の一口にかかろうと大口をあけ暗闇からぼんやりと現れていて、その眼は白く突き出ている。もう一方の唯一の明るさは、血のしたたる死体の背中に突き立てられたサタンの白い指の付け根にある。
オリジナルでは勃起した陰茎が描かれていた形跡があるが、現在では壁画の時代経過かキャンバスへの転移のための劣化により失われており、今日サタンの股間部分はぼんやりと不明瞭になっている。また、公の展示の前に意図的に塗り重ねられた可能性もある。
様々な解釈
若さと老齢の思想の矛盾、すべての滅亡の時代、神の天罰、祖国の自身の子供たちを戦争と革命に食い尽くしたスペインの状況に起因しているなど様々な解釈がなされている。ゴヤはこの画について何も書き記していないが、その重要性の説明におそらく興味を抱いていた。
それは、絵画とは現代の人間の有様を我々が理解するための本質的要素であるということ、まさにミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画が16世紀の真髄を理解するための本質であるのと同じである。
また、ピーテル・パウル・ルーベンスも1636年に同名の作品を残しているが、ゴヤが同作にインスパイアされた可能性もある。ルーベンスの作品もプラド美術館に所蔵されている。
巷で騒がれているほどこの作品を「怖い」と感じないのは、「我が子を食う」という暗くおぞましいテーマに対して、どうしてもサトゥルヌスの目がくりくりして可愛らしく見えてしまうからだろうか。きっとこれは「くりくりしたかわいい目」ではなく「狂気的な見開いた目」なのだろう。しかし、広く見るとあまりにグロテスクな描写にやはり状況の異常さがわかり「怖い絵」なのだと再認識する。『世界妖怪図鑑』には妖怪として紹介されているらしいが、仮定の未来に恐れを抱き不安や恐怖に負け我が子まで食らってしまうサトゥルヌスの存在は、人間の表には出さないだけで誰でも持ちうる普遍的な恐怖や恐れの概念が具現化されたと考えれば、本来の人間の本性をイメージ化した「妖怪」とすることもできるのかもしれない。ただの「怖い絵」としてではなく人間の本性が形となったものだと見れば、私たちと近しいものなのかもしれない。
2022年9月13日 11:35 am, ID 56949