作品概要

デルフトの小道(小路)》は、画家のヨハネス・フェルメールによって制作された作品。制作年は1657年から1658年で、アムステルダム国立美術館に所蔵されている。

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17世紀オランダ絵画黄金期を代表する画家ヨハネス・フェルメールが手がけた現存する二枚の風景画作品の内のひとつである、《デルフトの小道(小路)》。

街への敬愛

1654年デルフトの街で起こった火薬庫爆発事故を機に、画家が思い入れの強い街の情景を絵画内へ留めようと、街への敬愛を示した都市景観画のひとつである。

本作に描かれる場所の特定については、研究家スウィレンスが提唱したフォルデルスフラハト運河近くの旧養老院とする説が主流とされるも、異論も多く、研究が続いてきた。

ピーテル・デ・ホーホの影響

フェルメールと同じデルフト派のひとりピーテル・デ・ホーホの手がけた都市景観画に強い影響を受けていることが多くの研究者から指摘される本作では、左から洗濯をおこなう女、道端に座る二人の子供、戸口で針仕事をする老女が登場人物として描かれるが、いずれも当時の人々のありふれた日常生活の一場面を描いたものである。

また本作の制作年代については、煉瓦で使用される赤褐色や、それらを繋ぐモルタルの白色、ポワンティエ(点綴法)、一部に見られる何層にも重ねられた厚塗り描写など《牛乳を注ぐ女》や《デルフトの眺望》で用いられた手法と同様の手法で描かれることから、同時期に手がけられたと推定されている。

場所の特定

一般的には、フェルメールが生活していた17世紀のデルフトの小路を描写したとされているが、正確な位置はフェルメールセンターが有力であった。

その後の研究にてデルフト運河に沿っての住宅と通路が詳細に測定された結果、この作品の景色はフラミング通り40と42番地と特定されたのである。突き止めたのはアムステルダム大学の美術史教授、フランス・フレイゼンハウト氏である。

特定のため彼が使った資料は「1667年デルフト運河浚渫台帳」であり、これは運河に面した家を持っている家族が、運河を浚渫し岸壁をきれいにしておくためにどれだけの税金を払ったかの記録である。フェルメールがこの絵を描いた時代のデルフトの家と、家と家の間の通路の広さを割り出しデルフト東地区のフラミング通り北側のこの二軒の家を特定したのである。

家の幅は両方とも約6.3 メートルで、通路の幅は両方とも約1.2メートル。二軒の家のこの構成、そして奥に小さな庭があるという作りは当時のデルフトでもここだけであった。

フェルメールの叔母の家

絵画の右側の建物は、フェルメールの叔母クレス・ファンデミンヌが所有しており、 彼女は胃袋(tripe)を売り供たちを養っていた。フェルメールの母親と妹も同じ運河対の角線上に住んでいたとされている。

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基本情報・編集情報

  • 画家ヨハネス・フェルメール
  • 作品名デルフトの小道(小路)
  • 英語名未記載
  • 分類絵画
  • 制作年1657年 - 1658年
  • 製作国オランダ
  • 所蔵アムステルダム国立美術館 (オランダ)
  • 種類カンヴァス、油彩
  • 高さ54.3cm
  • 横幅44cm
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