作品概要
《印象、日の出》は、画家のクロード・モネによって制作された作品。制作年は1873年から1873年で、マルモッタン美術館に所蔵されている。

「印象」という名称はもともと、当時の批評家ルイ・ルノワに「印象?いやむしろ印象しかない。描きかけの壁紙のほうがよっぽどましだ」と嘲笑されたことに由来する。
同作品は1874年4月に展覧会に出品され、後に「印象派」という名称の誕生につながる。それにともない、その展覧会は「印象派展」と呼ばれるようになった。
来歴
1872年作と日付が書かれているが、1873年に描かれた作品である。ルアーブルの港の風景をやわらかい筆の動きで描いている。モネは後にこの作品の題名についてこう説明している。
「カタログに載せるために題名をつけてほしいといわれたが、これに《ルアーブルの眺め》という題をつけることはできなかった。そこで《印象》としてほしいと言った。」
印象派の誕生
本作は、1874年に開かれた最初の印象派展で展示された。ル・アーブル港を主題にした一連の作品の中で、《日の出》が展覧会の初公開時より、人々からもっとも喝采を得た。
同展覧会ではモネの他、ドガ、ピサロ、ルノワール、シスレーらを先頭とする約二百人の画家よりの出品があり、約四千人の鑑賞者があったとされる。批評家たちの中には、鋭く批判するものいた。
評論家のルイ・ルロワはこの作品の題をみて自身が担当する風刺新聞ル・シャリヴァリ紙のレビュー記事において、この展覧会を軽蔑の念と悪意をこめて「印象主義の展覧会」と評した。
この命名が後に定着し、彼は意図せずに「印象派」の名付け親になった。
盗難と発見
この絵は1985年にマルモッタン美術館から盗まれ、1990年に発見されている。
盗難者は、日本で本作品を売りさばこうとしたものの、盗難されたことが報道によって一般的に広く知られたため、売却が上手くいかなかったと言われている。
本作品は、コルシカ島南端のポルト・ベッキオにあるドナシアン・コミチの家で見つかり、その際には『ブリの肖像』『カミーユ モネとそのいとこの肖像』といった作品など9点が回収された。
作品の構成・技術
本作品は、モネの故郷であるフランス北西部の大西洋に臨む港湾都市ル・アーブル港を描いたもので、作者の港を主題にした作品の中で最も名の知れたものとされている。
モネは1872年にフランス北西部のル・アーブルを訪れ、港を構成に入れた一連の絵画の制作に取り掛かった。日の出、日中、夕刻、夜と時刻を変えて、彼の投宿先または水上から多様な視点からの六枚の作品を仕上げた。
Twitterで見かけた話で「多くが思う『汚い色』というのはそれ自体が汚いのではなく、周りの色や背景との調和性や組み合わせで汚く見える」とあった。あたりまえな気がして案外それを意識していなかった気がする。この話では引き合いにこの作品が挙げられていた。こんなことをいうと失礼な気がするが、確かに色単体で見てしまえば絵具を洗ったバケツの水のようかもしれない。しかし、それらの組み合わせが薄い霧に包まれたような柔らかくも確かな作品になっている。
2022年9月13日 2:20 pm, ID 56953…あたりまえだろうか。