作品概要
《アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と洗濯する女性たち)》は、画家のフィンセント・ファン・ゴッホによって制作された作品。制作年は1888年から1888年で、クレラー・ミュラー美術館に所蔵されている。

現在も残るはね橋
1888年3月の作品で、ゴッホがパリの都市生活に心身を疲弊させ、アルルに同年2月に移り住んだ初期に描かれた。オランダ人の建築家によって設計されたこの跳ね橋は、現在も残っているが、ゴッホはこの跳ね橋を何度も描いている。
歌川広重の影響
ゴッホはパリに滞在中に印章派とともに、日本の浮世絵にも触れてその影響を受けている。「アルルの跳ね橋」は、当時すでにパリで知られていた、広重の版画「おおはしあたけの夕立」に感化されたとも言われている。
「アルルの跳ね橋」の一連の作品群の中で共通しているのは、一尾露としたパースペクティブの中に、平坦に構造物を配置する一方で、細やかな線が異なる角度で精密に描かれている。単純化されて、線の中に配色していることもまた、日本の版画を真似た技法だとされ、同時期のゴッホの他の作品にも見られる。
最も多産な時期の作品
跳ね橋は、ゴッホの生まれ故郷のオランダでもよくある農村風景で、ゴッホは弟のテオドラスにこの跳ね橋の絵画の一枚を贈り、祖国オランダで売れないかと書簡で相談をしている。1888年初頭ににパリを離れたゴッホは35歳を迎えていた。
アルルに移り住み故郷を想わせる農村風景に接した彼は、ゴーギャンと共同生活を始めるまでの間に風景画を多数残した。アルルに移り住んでからのゴッホは15ヶ月の間に100以上のデッサンを残し、200以上の絵画を残し、そして200以上の書簡を送り、絵画で生計を立てることを模索していた時期で、生涯の中で最も多くの作品を残している。
こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。