作品概要
《ジョットの鐘楼》は、画家のジョット・ディ・ボンドーネによって制作された作品。制作年は1334年から1334年で、フィレンツェに所蔵されている。

《ジョットの鐘楼》は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の脇にある鐘楼で、画家・建築家のジョット・ディ・ボンドーネの監督のもと設計された建築である。
最後の建築
建築家としても名高いジョットは、1334年にフィレンツェ政府から、大聖堂の建築における公共的作品の主たる制作者として赴任した。また、ジョットがフィレンツェに留まるように、市の城壁と防塞の工事にも命ぜられた。
それらの仕事の中には、前年の11月にアルノ渓谷を襲った洪水による破損箇所の修理も含まれていた。残念ながら、ジョットは鐘楼の最下層の建設を監督しただけで世を去り、のちに後継者として建築家のフランチェスコ・タレンティが後を受けて仕事を完成させた。しかし彼は、ジョットの原案の残りの部分を修正している。
また、ジョットの没後、全体の工事が終わるまでにはさらに50年の歳月が費やされた。
ジョットの仕事
ジョットの計画の名残りは塔の一階のまわりに配するように設計された小さなレリーフに最も現れており、それは独立した26の場面が全体で一つのパノラマを形作っている。
人類の誕生に始まり、初期の遊牧生活にすすみ、最も文化の進んだ現在で最高潮に達している、という構図を大理石に移し替える仕事は主として、彫刻家のアンドレア・ピサーノが受け持った。しかし、鐘楼のレリーフの何点かをジョット自身が彫った、という言い伝えは根強く残っている。
塔の北側にある絵画もジョットの作品であると言われており、彫刻、文法、数学と地理、修辞学、論理と調和などを含む作品群の中の一点である。
その絵画の構図は、画家が工房にいて、やつれた表情を見せ、疲れた様に背を丸めている。ジョット同様、この人物は明らかに人生の晩年にさしかかっている。
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