作品概要
《真珠の耳飾りの少女》は、画家のヨハネス・フェルメールによって制作された作品。制作年は1665?年から1666?年で、マウリッツハイス美術館に所蔵されている。

《真珠の耳飾りの少女》は、ヘッドスカーフを巻き真珠のイヤリングをつけた少女の肖像画である。1902年よりオランダ・ハーグにあるマウリッツハイス美術館のコレクションに収められている。
北方のモナリザ
少女の謎めいた雰囲気から「北方のモナ・リザ」とも呼ばれる《真珠の耳飾りの少女》は、世界的にも人気の高い作品である。本先は、17世紀オランダで好んで描かれた、特定のモデルを描いた肖像画ではなく、一般的な顔を描いた「トローニー」というジャンルの作品だ。
「IVMeer」とサインがあるが、日付は記されておらず、性格な日付は分からないものの、1665年前後に描かれた作品と考えられている。
モデル
ただし本作はトローニーであるという見解が大多数であるが、本作にモデルが存在するという声も依然として大きい。その中でも、最もよく知られているのが、フェルメールの長女・マリアである。
1654年に生まれたマリアは、本作が描かれたマリアは本作が描かれた1665-1667年頃は12歳前後だった。ただし、もしそうであるならば本作に描かれている少女はモデルの年齢よりも上に見えることから、疑問の余地もある。
他にモデルとして名前があがるのは、フェルメールのパトロンであったピーター・ヴァン・ルイヴェンの娘だ。マグダレーナと呼ばれるその女性は、マリアとほぼ同い年であった。
ヴァン・ルイヴェンはフェルメールから直接本作を受け取ったと言われており、この説に信憑性を与えているが、史料的な裏付けはなく憶測にとどまっている。
ターバンを巻いた女
本作は当初、《ターバンを巻いた女》呼称されており、もともとは真珠の耳飾りよりもターバンが注目されていた。当時のヨーロッパの画家にとって、オスマン文化を象徴するターバンを描くことは、それほど一般的ではなかった。
しかし異国文化への珍しさから、ファン・エイクの《赤いターバンの男の肖像》に代表されるように、伝統的にモチーフとしてターバンが取り入れられてきた歴史もある。
フェルメールの同時代の作品として、美術史家から注目されているのが、マイケル・スウィートの《小さな花束を握ったターバンを被った少年》だ。本作で描かれたターバンは同時代の作品に影響を与えたと考えられているが、フェルメールも例外ではない。スウィートとフェルメールに直接交流があったかは定かではないが、1660年代にスウィートの作品はオランダにあったことから、そのモチーフが影響を与えた可能性は高いと見られている。
ちなみにフェルメール自身は、オランダの画家による作品には精通していたが、外国のアーティストから殆ど影響を受けていませんでした。
耳飾りは真珠ではない
本作では、ヨーロッパ風の少女がエキゾチックな衣装をまとい、東洋風なターバンを巻きながら大きな真珠のイヤリングをつけている。2014年にオランダの天体物理学者ヴィンセント・アイクはイヤリングの原料について疑問を呈し、真珠ではなく鏡のような反射の下塗りを持つ、洋ナシ型の大きな磨かれたすずのイヤリングに見えると主張している。
アイクの指摘のみならず、本作は《真珠の耳飾りの少女》という名で広く知られているが、モデルが身につけているのは真珠ではない可能性が高い。当時の真珠、それも本作で描かれているほどの大きさの真珠は非常に高価で、フェルメールが入手できるようなものではなかった。
もともと本作は《少女の顔》や《ターバンの少女》、《若い少女》などと呼ばれており、「真珠の耳飾り」がフォーカスされたのはごく最近であった。
修復作業
1994年におこなわれた最新の修復作業によって、精緻な色彩構成と鑑賞者に向けられる親しげな少女の眼差しがより鮮明になった。その修復の間に、今日では幾分まだらになっている暗い背景は、フェルメールが当初エナメルのような深緑色にするつもりだったことが判明した。
漆黒の背景は、現在は幾分斑模様だが、これはグレーズ技法と呼ばれ、現在は黒い背景になっているが、絵に薄い透明な層を用いることで効果が得られる。しかし現在では緑のグレーズ、インディゴと溶剤の2つの有機顔料は色褪せてしまった。
来歴
《真珠の耳飾りの少女》は、1675年にフェルメールが死去した後、おそらく彼のパトロンであったピーター・ヴァン・ルイヴェンが所有していたと考えられている。
その後、フェルメールの希少な作品が海外へ分散売却される事を防ごうとしていたヴィクトール・ド・ステュールのアドバイスで、アーノルダス・ヘンドリカス・デ・トンベが1881年にハーグで催されたオークションで、わずか2ギルダーと購入手数料の30セント(現在の価格でおよそ24ユーロ)で購入した。
当時、《真珠の耳飾りの少女》はひどい状態であった。デ・トンベは後継者がいなかったので、この画を他の絵画作品と共に1902年にマウリッツハイス美術館へ寄贈した。それ以来、《真珠の耳飾りの少女》は同美術館の目玉絵画として世界中の愛好家を惹きつけている。
来日
2012年、マウリッツハイス美術館の修復と拡大の間に移動展覧会として、《真珠の耳飾りの少女》は日本の東京国立西洋美術館で展示された。また2013年から2014年にはアメリカ・アトランタにあるハイ美術館、サンフランシスコにあるデ・ヤング美術館、ニューヨークのフリック・コレクションで展示された。2014年後半には、イタリアのボローニャで展示がなされた。
2014年6月、《真珠の耳飾りの少女》はマウリッツハイス美術館に戻され、それ以降はマウリッツハイスを離れることはないと発表された。
関連創作
作家トレーシー・シュヴァリエは『真珠の耳飾りの少女(1999)』と題した歴史小説を書いている。これは、絵画制作の状況を小説化したものである。
小説中でヨハネス・フェルメールは、フリート(シュヴァリエの近しい友人ジョージア・ケンダルをモデルにした)と名付けられた架空の使用人と親しくなる。彼はアシスタントとして彼女を雇い、妻の真珠のイヤリングをつけさせ、絵のモデルとして座らせた。
この小説は、同名の2003年の映画と2008年の演劇の元となり、本絵画をより著名な作品へと押し上げた。
2003年の映画は、真珠のイヤリングをつけた主役・フリートをスカーレット・ヨハンソンが演じた。ヨハンソンは、ゴールデン・グローブ賞とBAFTA(英国アカデミー賞)の最優秀主演女優賞など、様々な賞にノミネートされた。
《真珠の耳飾りの少女》は2007年の映画、「聖トリニアンズ女学院」の中にも現れる。気ままな女学生達が学校を救う資金稼ぎのために、その画を盗むというストーリーだ。
イギリスのストリート・アーティストBanksyは、ブリストルで、壁画としてこの画をリクリエイトしているが、真珠のイヤリングをアラームボックスに置き換え、アート作品「Girl with a Pierced Eardrum」と名付けている。
解説にも書いてありますが、2012年の来日で見ました。感動しました。
2017年12月15日 9:43 pm, ID 11994目の中の光沢まで描かれていてすごいと思います
2020年4月21日 9:20 am, ID 17530