作品概要
《ヴェネツィアのペスト》は、画家のアントニオ・ヴァッシラッキによって制作された作品。制作年は?年から?年で、アルベルティーナに所蔵されている。

歴史的状況
14世紀から17世紀に渡って、ヨーロッパと地中海沿岸地域はペスト(黒死病)にしばしば見舞われた。研究者によると1346年から1671年の間は毎年ヨーロッパのどこかでペストが流行っていた。ヴェネツィアでは1361年から1528年の間に22回ペストに襲われ、特に1576年から1577年、ヴェネツィアの人口約3分の1にあたる5万人がペストで死亡した。
ヴェネツィアのレデントーレ祭は、現在おそらく街で一番のお祭りと言えるが、ペストの歴史に関係している。1576年9月議会上院は救い主(レデントーレ 伊:Redentore)に新しい教会を捧げる代わりに神の助けを求めた。そして1577年5月に礎石が置かれ、7月20日にはペストの終焉が祝われることとなった。ボートの橋で教会に続くパレードがあり、それは今日でも続く伝統の始まりであった。
作者
アントニオ・ヴァッシラッキは、パオロ・ヴェロネーゼの下で見習いをした後、ドメニコ・ティントレットの工房に所属することとなった。ドメニコは数多くの依頼を受けていたヤコポの息子である。1578年から1582年の間、ヴァッシラッキはヴェニスのドゥカーレ宮殿の大評議会の間の装飾を請け負った。ドメニコとヴァッシラッキは商人学校の宿の壁と天井の装飾をし、サンタ・カテリーナ教会に大きなキャンバス画を6枚、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会に3枚の絵を納めた。
収蔵
アルベルティーナはオーストリアのウィーンにある美術館で、世界でも有数の版画の展示室がある。およそ6万5千枚の素描、100万枚の巨匠の版画、同時に近代のグラフィック作品、写真、建築デッサンを所蔵している。
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