作品概要
《聖アガタ》は、画家のピエトロ・ロレンツェッティによって制作された作品。制作年は?。

《聖アガタ》は、イタリア出身のシエナ派宗教画家ピエトロ・ロレンツェッティ(1280?-1384)制作のパネル画であり、元々は、多翼祭壇画の一部を構成していた。本作品に描かれた高貴な聖人は、おそらく聖アガタであろうと言われているが、依然断定されていない。元々は五枚のパネル画から構成されており、中央パネルを構成していた《聖母子》の方を向いている構図を踏まえると、《聖アガタ》は祭壇画の左翼パネルを構成していたと考えられる。現在はフランスのルマンのテッセ美術館に所蔵されている。
絵画の主題
聖アガタ別称シチリアのアガタは、殉職した聖女であり、乳癌患者、強姦の犠牲者、乳母などの守護神である。
主題である《聖アガタ》は、シチリアの高貴な家系に生まれ、幼少期から気高く美しく、一生を神に捧げることを誓っていた。彼女は聖女になったが、それでも多くの男性が彼女に言い寄った。そのうちの一人クインタヌスは、身分の高い外交官で、彼女の信仰をやめさせ、結婚できると考えていたが、何度もあしらわれ、キリスト教徒迫害の時代のもと、アガタがキリスト教徒であることを咎め、逮捕し、裁判にかけ、彼自身が裁判官を務めた。
なんとか心変わりさせようと、クインタヌスはアガタを売春宿の牢獄に閉じ込め、暴行を続け、信仰をやめるよう説得したが、屈しなかったため、拷問にかけた。それでも信念を貫くアガタに、クインタヌスは激怒し、彼女を幽閉後、再び拷問にかけた。拷問台にのせ、鉄の鉤で手足を引き裂き、たいまつで燃やし、鞭打ちの刑にかけた。それでもアガタはどんな拷問にも耐えた。非道なクインタヌスは、彼女の乳房をくり抜くよう命じた。
その後、アガタを再び幽閉し、食べ物も治療も与えなかったが、彼女は神の力によって回復した。キリストは彼女の聖なる医師であり守護神であった。アガタはキリストの使徒である聖ペテロに守護されていた。彼女の奇跡的な回復にも関わらず、クインタヌスはアガタを裸にし、鋭い鉄の欠片を混ぜて熱した石炭の上を転がした。牢獄に戻されると、アガタは祈りながら亡くなった。
絵画の構図と物語
ピエトロの《聖アガタ》では、衣装のゆとりによって、乳房を切り取られ殺害されたことが暗示されている。聖アガタは、絵画では刃物や焼きごてや乳房を皿に載せている姿が象徴的に描かれていることが多いが、本作品では皿は描かれていない。
《聖アガタ》は、一次元的線形性や特定のフォルムといったシエナ派の特徴的画法を徹底している。特にほっそりとした指で焼きごてを持つ姿や、首元から肩のほうへと垂れ下がったリボンの流麗さ、黒い紐で縁取りされた袖ぐりにその特徴が表されている。また、形の整った髪型、ビーズで装飾された凝った作りのボタン、東洋から発想を得た肌着の刺繍にもシエナ派に特徴的な、繊細な優美さがみられる。
このような特徴を持った衣装は、《聖アガタ》の制作当時、実際に貴族の間で流行していた。聖アガタは3世紀に生きた人物だが 《聖アガタ》の制作当時にキリスト教信者らが鑑賞しやすいよう、この衣装を纏った姿で描かれている。
また、聖アガタの凝視の強さは、ピエトロによって生み出された表現方法のひとつである。
こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。