作品概要
《メドラーノサーカスから》は、画家のジョージ・グロスによって制作された作品。制作年は1924年から1924年で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

《メドラーノサーカスから》はドイツの画家ジョージ・グロスによって1924年に制作されたリトグラフである。ワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。
1920年代のグロス
第一次世界大戦は、7千万以上の軍人(うちヨーロッパ人は6千万)が動員され、史上最大の戦争の1つとなった。第一次世界大戦の最前線を経験したグロスは、ドイツの民族主義や愛国主義を深く嫌悪するようになり、ドイツの民族主義や愛国主義を嫌って、自らの名前を英語読みのGeorgeに、苗字をハンガリー語表記のGroszに変更した。さらに1919年にはドイツ共産党(KDP)に入党した。
1921年、グロスは、諷刺画集Gott mit uns(神は我らと共に)がドイツ陸軍を侮辱しているとされて告発を受け、書店から没収されると共に、300ドイツマルクの罰金を科せられた。
1922年、ロシアを旅してトロツキーとレーニンに面会した後で独裁組織に嫌気がさし、19年に入党していたドイツ共産党を脱退する。とはいえ、1927年まで共産党の刊行物の常連でありつづけた。
1924年、諷刺画集Ecce Homo(この人を見よ)が猥褻にあたるとされて風俗紊乱で有罪判決を受ける。この年に芸術家組織Rote Gruppe(赤い集団)の会長に就任した。
グロスの作品のテーマは戦争をモチーフにしたものが多いが、本作《メドラーノサーカスから》は、それらとは一線を画した作品となっていて、楽しげな情景が描かれている。
グロスの日本への影響
第一次世界大戦後のドイツの世相を痛烈に風刺した画家であるグロスが日本に始めて紹介されたのは1920年代の初頭である。ミュンヘンやベルリンが芸術都市として知られるようになったこの頃に、ようやくドイツの現代美術も注目されるようになった。そして表現主義やベルリン・ダダ、構成主義、新即物主義などが相次いで日本に紹介されることになった。
グロスの作品は日本の前衛美術家たちに大きな衝撃を与え、大いに賞賛された。
例えば、1920年代の日本の新興美術運動を牽引し、グロスの初期の紹介者でもあった村山知義は、グロスについて次のように述べている。
ジョージ・グロスは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやデューラーやクラナッハやセザンヌやゴッホと並べて、私が最も尊敬する画家である。私も彼から色々な影響を受けたし、日本の諷刺画、挿絵界も、最も彼に傾倒した柳瀬正夢を通じて、大きな影響を受けた。
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