作品概要
《不運な発明家、オーガスタ叔父さんを忘れない》は、画家のジョージ・グロスによって制作された作品。制作年は1919年から1919年で、ポンピドゥー・センターに所蔵されている。

《不運な発明家、オーガスタ叔父さんを忘れない》はドイツの画家ジョージ・グロスによって1919年に制作された油彩画である。ポンピドゥー・センターに所蔵されている。
グロスの青年期
ジョージ・グロスは、本名ゲオルク・エーレンフリート・グロースとして、ベルリンの労働者の家庭に生まれる。7歳で父が死去する。1909年から1911年までドレスデンの王立美術院に学んでいる。1910年にはすでに複数の諷刺雑誌に関与している。1912年から1914年まではベルリンの美術工芸の学校で学ぶ。 1913年の数ヶ月はパリの由緒あるアトリエ・コラロッシでも学んでいる。
翌年の1914年6月28日、ユーゴスラヴィア民族主義者が、サラエヴォへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリーの帝位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺した事件が引き金となり、第一次世界大戦が勃発する。 第一次世界大戦は、7千万以上の軍人(うちヨーロッパ人は6千万)が動員され、史上最大の戦争の1つとなった。
第一次世界大戦の最前線を経験したグロスは、ドイツの民族主義や愛国主義を深く嫌悪するようになり、ドイツの民族主義や愛国主義を嫌って、自らの名前を英語読みのGeorgeに、苗字をハンガリー語表記のGroszに変更した。さらに1919年にはドイツ共産党(KDP)に入党した。
本作《不運な発明家、オーガスタ叔父さんを忘れない》は、ドイツ共産党に入党した年に描かれた。
ベルリン・ダダ
ダダイズムは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイズムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。
ダダイズムは第一次世界大戦中にチューリッヒで始まり、国際的な現象となる。機械や科学技術、キュビズムの影響を強く受けているのが特徴であった。
ダダ派の芸術家はパリ、ベルリン、ケルン及びニューヨークでも同様の運動を展開。ドイツではリヒャルト・ヒュルゼンベックがベルリン・ダダを旗揚げし、ラウル・グロスマン、ジョン・ハートフィールド、ジョージ・グロス、ジャン・アルプ及びハンナ・ヘッヒらが集った。グロスは特に、ワイマール共和国時代はベルリン・ダダと新即物主義派の中心的メンバーの一人であった。
本作《不運な発明家、オーガスタ叔父さんを忘れない》はダダのコラージュ技法を駆使して描かれている。
こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。