作品概要
《サテンの音叉》は、画家のイヴ・タンギーによって制作された作品。制作年は1940年から1940年で、メトロポリタン美術館に所蔵されている。

《サテンの音叉》はフランスの画家イヴ・タンギーによって1940年に制作された油彩画である。メトロポリタン美術館に所蔵されている。
初期アメリカ時代
第二次世界大戦(1939年から1945年までの6年間にわたる)の勃発にともない、タンギーは、彫刻家のハインツ・ヘンゲスの紹介で知り合った画家ケイ・セージの尽力によって、他のシュルレアリスト達と共にアメリカに亡命する。セージとは後に再婚することとなる。2人はアメリカ西部を旅行し、1940年8月17日に、ネヴァダ州のリノで正式に結婚した。1941年にはセージと共にグリニッジ・ヴィレッジからコネチカット州ウッドベリーに移り住んだ。1946年からは「タウン・ファーム」と名付けられた家に住んだ。タンギーの作風はセージに影響をあたえている。
本作《サテンの音叉》は、セージと結婚した年に描かれたものである。
イメージの一貫性
アメリカ亡命後の1940年代の作品では、色彩が一層明るく鮮やかになり、また画面空間に対して不定形の物体群が占める割合がしばしば大きくなり、結果として物体群の巨大化あるいは空間の巨大化といった印象をもたらすものとなっている。1940年代の半ばから、さらに増殖と細分化の兆しが見られはじめ、その後巨大化、複雑化、増殖化、細分化は極限まで進むことになる。
タンギーの作品変遷における連続性、一貫性、自律性は単調さとみなされがちだが、こうした点もまたタンギーのイメージの特性として位置付けることができる。タンギーの作品変遷における連続性、一貫性、自律性は、個々のイメージの意味を希薄化させる作用をもたらす。
本作《サテンの音叉》は、前景中央部の音叉のような大きな金属の構造物が目を引く。物体のフォルムは明確である。そして、1930年代の作品に比して物体群は巨大化している印象を受ける。
地面に投影されたシルエットやオブジェ群などはデ・キリコを思い起こさせる作品である。デ・キリコのイメージに出会い画家となったタンギーは、デ・キリコの謎を純粋な形で自己増殖させ、イメージの領域を極限化させた。
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