作品概要
《北平の力士》は、画家の藤田嗣治によって制作された作品。制作年は1935年から1935年で、平野政吉美術館に所蔵されている。

《北平の力士》は、エコール・ド・パリの代表的な画家であり、日本画の技法を油彩画に取り入れながら、独自の乳白色の肌と呼ばれた裸婦像を描いた藤田嗣治(1886-1968)が1935年に制作した油彩画である。
中国で出会った力士を題材に
1934年11月に藤田は中国に旅立ち、北京に1か月ほど滞在した。本作は現地での素描や写真をもとに、翌年東京で制作した第22回二科展出品作だ。当時は満州事変のあとを受け、日本の関東軍と中華民国のあいだでさまざまな衝突が起きていた時代だった。北京は中華民国の支配下にあって北平(ベイピン)と呼ばれていた。藤田は街を歩きまわり、力士に出会う。
藤田は猥雑な風俗に、エキゾチックなまなざしを投げかけていうる。描かれているのは、3人の力自慢の大道芸人と、彼らを見ているわけでもなく背景に配置された12人の老若男女だ。芸を終えたあとだからか、それぞれの視線はばらばらだ。前景の中央にひとりが大きく胸を反らせて立ちあがり、左右に腰をおろすふたりとともにきれいな3角形をなしている。背景の人物たちの、赤と見狐狸の補色関係を生かした配色も計算されている。
怪力の男たちの肉体や風貌のグロテスクなまでの表現だけでなく、それを見る観客な足元に落ちた小銭や食べかすまでひとつもらさず描こうという画家の意欲がうかがえる。
見聞とスケッチをもとにした作品
藤田のしたためたエッセイによると、「大道芸人の芸を爪立って覗いて見る。頭当りで突きこむ手、足で蹴り上げる手、半裸体の巨人の角力に画心をわかせる」「12月1日、ベル孫氏の行為で蒙古人の角力取り、弓の名人等を氏の家に集めてくれた。写生の便を計って呉れた。5人、6尺大の頑強な男のみであった」ようだ。
この作品はこれら2つの機会の見聞とスケッチをもとに描かれた作品だろう。この時期の藤田の画の特徴のような諸国の風俗のエキゾチックな興味が前面に伝わってくる1枚だ。
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