作品概要
《ホーネッカーとブレジネフの熱いキス》は、画家の作者不明によって制作された作品。制作年は1989年から1989年で、ベルリンの壁に所蔵されている。

ベルリンの壁は、東側からは幅100mの無人地帯のため立ち入ることができなかったが、西側からは接近することができたため、壁の西側では壁の建設をなじり撤去を求める政治的な落書きが出現するようになった。やがてさまざまなメッセージや色鮮やかなストリートアートが壁の西側を彩ることになった。
「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」は、そんな壁面の中でも最も有名なアートの1つであり東ドイツの歴史を象徴する作品である。
歴史的背景
ベルリンの壁崩壊、そしてドイツ再統一、更に冷戦の終結によってベルリンの壁は名実ともに存在意義を失った。しかし、壁は米ソ冷戦の象徴的遺跡としての保存の声が高まりシュプレー川沿いの約1.3kmの壁(イースト・サイド・ギャラリー)が残された。この部分には「ベルリンの壁建設」にインスピレーションを得た24の国の芸術家118人による壁画が描かれており「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」を描いた戯画もここに含まれている。
文化財として保存されてきたものの、ベルリンの壁は、長年の劣化と観光客の落書き、そして度重なる上塗りによる補修で危機的状況に陥っていた。そのため、2000年には寄付によって壁の北側が修復され、2009年には残る部分の修復に着手された。
ホーネッカーとブレジネフの熱いキス
東ドイツの国家評議会議長であったエーリッヒ・ホーネッカと、ソ連最高指導者レオニード・ブレジネフの熱いキスは、男性同士のキスが文化として存在したソ連においてアーティストのドミートリー・ヴルベルによって撮影されたものだった。
両国の関係は、1960年代のベルリンの壁が建設された時代から一層深くなり、東ドイツのホーネッカは、ソ連指導者であったブレジネフとの関係を深める事で、党内での指導者の地位を確立していく。しかしホーネッカは、1980年代後半にソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ書記長が政治改革(ペレストロイカ)を始めた時も、強固な共産主義者のままであった。彼は東欧革命に従って失脚し、歴史から姿を消す。
2人の熱いキスを描いた戯画は、東ドイツと旧ソ連の複雑な歴史を象徴する1枚なのだ。
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