作品概要
《座る道化師》は、画家のパブロ・ピカソによって制作された作品。制作年は1901年から1901年で、メトロポリタン美術館に所蔵されている。

1901年、ピカソはパリにわたる。到着以後の、様々なスタイルへの挑戦、実験の結果、その年の秋、彼は独自のスタイルを確立させた。彼はほぼ同じサイズの六枚のキャンバスに、一人もしくは二人の座った像を描き上げた。これはわずか20代のピカソが達成した偉業のひとつである。
これらの絵は、1870年代のドガやマネのカフェにおける場面や、ゴッホ、ゴーギャンの作品の模倣、また1880?1890年代のロートレック作品から派生したものである。
『座る道化師』は、ロートレックやゴーギャンなど数名の画家を連想させる作品である。本作の花柄の背景は、ピカソがヴォルヤールのギャラリーで見たと推測される、ゴッホの『揺り籠をゆする女』の背景から借用されている。ピカソは他の画家の作品を吸収し、即座に彼独自の世界をとりいれ新たな彼自身の作品を生み出すという類まれなる才能があった。そのため、彼が1901年にパリに訪れ、モンマルトルに滞在したのはきわめて当然だと考えられる。ロートレックやジュール・シェレのポスターが至る所に展示されていたからである。
この作品は最終仕上げの直前に大幅に書き直されている。例えば道化師の白い襟は最初はなかったがこの時点で書き加えられ、テーブルのマッチ箱はグラスから書き換えられた。さらに、当初は右手におかれていた道化師の帽子は消され、元々は画面の大きな部分を占めていた花柄の壁は長いすによって隠されている。
道化師は、当時の大衆的文化であった。しかし通常はバトンやむちを持ち、黒いマスクをかぶった道化師とは異なり、ピカソは彼に白い顔と襟を描いた。ピエロのように憂いを帯び、妻を寝取られた道化師のように。多くの評論家はこの絵画は、ピカソの自殺した親友カルロスを失恋したピエロとして描いたものと表現している。
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