作品概要
《アンギアーリの戦い》は、画家のレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された作品。制作年は1504年から1505年。

本作は、フィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)大会議室(500人大広間)に、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた壁画。この時の契約書はニッコロ・マキャヴェッリがサインをした。そしてダヴィンチの壁画と反対側の壁にはミケランジェロが「カスチーナの戦い」を制作していた。同じプロジェクトを同時期に両者が手がけたのは、この時だけである。
今も現存しているのではないか、と多くの研究者から推定されている。
ルーベンスによる模写
その中心部分はフランス・パリのルーヴル美術館にあるピーテル・パウル・ルーベンスの模写によって広く知られている。1603年にルーベンスが《アンギアーリの戦い》の模写を描いた時はダ・ヴィンチの壁画は失われていたので、1558年のロレンツォ・ツァッキアによる版画を元にしている。
イタリアの美術史家マウリツィオ・セラチーニ教授は、1563年にヴァザーリによって五百人大広間に描かれたフレスコの壁画《マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い》の一つの裏にダ・ヴィンチの《アンギアーリの戦い》が隠されている、と主張しており、2011年の調査で、その裏にダ・ヴィンチの作品とおもわれる顔料が見つかった。
ダヴィンチ最大の作品
ダヴィンチはこの作品で軍旗を激しく奪い合う兵士達や軍馬の衝突を描き、ダヴィンチ最大の大作と言われている。《最後の晩餐》の苦い経験からテンペラやフレスコではなく油絵で壁画に挑戦し、ロウを混ぜた厚い下塗りなど試行錯誤したが、表面の絵具が流れ落ちた。
急いで乾かしたが絵画の下半分しか救うことができず、上部は色が混じりあってしまい、壁画を諦めることになった。このようにしてダヴィンチとミケランジェロの2つの未完成の壁画が1512年まで同じ部屋に残された。
来歴
ミケランジェロの「カスチーナの戦い」はミケランジェロの才能を妬んだバルトロメオ・パンディネッリによって同年に切り刻まれてしまったが、ダヴィンチのこの作品に関してはその中心部分の素晴らしさを称賛され、その後数十年は多くの画家によって模倣されていく。
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