作品概要
《ピエールフォン城の廃墟》は、画家のジャン=バティスト・カミーユ・コローによって制作された作品。制作年は1830?年から1835?年で、シンシナティ美術館に所蔵されている。

戸外を描いたバルビゾン派
コローは、風景画の発展において過渡的な役割を果たした画家であった。彼はローマにおいて古典的な伝統絵画に夢中になり、聖書や神話の人物のいる理想化された場面を作り出した。しかしまた、自然に直接材を得て絵画を制作をした。
コローは、パリから約30マイル南東のフォンテーヌブローの森にある小さな村にちなんで名づけられた画家グループ、バルビゾン派に所属していた。これは当時アヴァンギャルドとみなされていた、自然と農村生活を描くことにを中心に据えた非公式の画家グループであった。コローと仲間の画家は、戸外で絵画制作をした最初のフランス人画家であった。
廃墟の郷愁
《ピエールフォン城の廃墟》は、フランス北部の小さな町にある城の廃墟を描いている。老朽化した中世の城は、典型的なロマン派のモチーフとなっている。崩壊というテーマや失われた過去は、19世紀のフランスから急速に消えていった生活様式への郷愁をコローに感じさせていたのだろう。
ピエールフォン城について
12世紀に建てられたピエールフォン城は、17世紀初めにリシュリューの軍により破壊され、約二世紀の間、廃墟のままであった。しかしナポレオン3世の要請により、1850年代後半に建築家ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・ドゥクによって修復された。そのためコローが1866年から1867年にかけてこの作品を改作した頃、ピエールフォン城はすでに廃墟ではなかった。
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