作品概要
《メデューズ号の筏》は、画家のテオドール・ジェリコーによって制作された作品。制作年は1818年から1819年で、ルーヴル美術館に所蔵されている。

作品の成り立ち
《メデューズ号の筏》はロマン主義の先駆者、テオドール・ジェリコーの作品であり、1816年にモーリタニア沖でセネガル行きの軍艦船が座礁した実際の事故をもとに描かれている。
座礁により約400人の乗員のうち、ボートに乗れなかった147人以上が急ごしらえの筏に乗らなくてはならなくなった。筏をボートで牽引するつもりだったが数マイルで紐が切れてしまい、筏には飲食料がほとんどない状態で大海を漂うこととなってしまう。13日後、偶然別の船によって発見された時には、救出されたのはわずか男性15人で、漂流中に殺人・食人が行われ、自ら海に飛び込んだ人もいた。事故の原因は53歳の艦長(キャリアのほとんどを税関のデスクワークで過ごした)の経験不足とされ、フランス政府は当初隠ぺいを試みた。
ジェリコーはこの事件に強く衝撃を受け、制作にとりかかった。リアリティを追求し、死体や死にかかった人の肌の感触を描くため、死体置き場や病院を訪ずれただけでなく、死体の一部を借りて自宅に保管してまでデッサンを重ねた。
フランス・イギリスでの評判
事件からわずか3年後の1819年に完成し、ジェリコーが27歳の時にサロンにて展示されたが、「政治的批判を目的としているのでは」と多くの議論を呼んだ。
展覧会後はルーブル美術館が買い取ったが、ジェリコーに代金は支払われず、作品は倉庫にしまわれてしまった。その後ジェリコーはルーブル美術館より作品を取戻し、イギリスで公開した。フランスでは批判も浴びたこの作品もイギリスでは好評だったが、滞在中の落馬や持病により1824年、ジェリコーは32歳の若さで死去した。
美術界への影響
形式美と理知的な描写を重んじる新古典主義と異なり、この作品では衰弱していた遭難者たちは生への強い欲求を表現するためにたくましく描かれ、実際は晴れて穏やかだった海も暗く荒れてドラマティックに描かれている。
これを契機にスタイルにこだわらず、個人の感情をダイナミックに表現するロマン主義が台頭し、ジェリコーの友人であり、作品のモデルとしても協力したドラクロワが活躍した。
こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。