作品概要
《風神雷神図》は、画家の尾形光琳によって制作された作品。制作年は?。

重要文化財。2曲1双・紙本金地着色、東京国立博物館蔵。尾形光琳は、原画(俵屋宗達の屏風画)に忠実な模写を残した。当時、風神雷神図は建仁寺の末寺妙光寺にあったと解されているが、この寺は乾山が営み、光琳のパトロン、二条家の別荘にあった鳴滝窯とほど近く、乾山が陶法を学んだ野々村仁清の墓所もある。こうした巡り合わせも手伝って、光琳はこの名品に出会ったのだと考えられる。この邂逅は、およそ宝永末年(1710年)頃だと、研究者たちは推測している。
光琳は、体躯や衣文線などの輪郭線を驚くべき忠実さでトレースしており、単に屏風を瞥見した程度ではなく、時間と手間を惜しまず正確に写し取った事が伺える。その反面、光琳はいくつかの改変を加えている。
- 風神・雷神の姿が画面ギリギリではなく、全体像が画面に入るように配置されている。宗達が屏風の外に広がる空間を意識したのに対し、光琳は枠を意識しそこに綺麗に収まるよう計算しており、片隻だけ見ると光琳の方が構図がまとまっている。
- 宗達の画では、両神の視線が下界に向けられているのに対し、光琳の画では両神がお互いを見るように視線が交差している。
- 両神の顔が、やや柔和な印象を受け、卑俗な擬人化がより進んでいる。
- 屏風全体の寸法が若干大きい(宗達画は各154.5×169.8cm、光琳画は各166.0×183.0cm)。二神の大きさは変わらないため、絵の中では光琳の風神雷神の方が相対的に小さく見える。
- 細部の描写や彩色を変更、特に輪郭線や雲の墨が濃くなり、二神の動きを抑える働きをしている。
光琳の模写も傑作の部類に属するが、上記の相違点により、「宗達の画のほうが迫力がある」という観覧者が多い。しかし、光琳の宗達に対する最良の回答は、風神雷神図の構図を借りつつも図様を梅に置き換えた、光琳の最高傑作である「紅白梅図屏風」だという事は留意すべきだろう。
風神雷神は俵屋宗達では?
2020年6月10日 11:00 am, ID 19995おそらく、これは俵屋宗達の「風神雷神図」を尾形光琳が模写した作品だと思います。
2022年9月13日 10:55 am, ID 56948