作品概要
《グルンヴァルトの戦い》は、画家のヤン・マテイコによって制作された作品。制作年は1875年から1878年で、ワルシャワ国立美術館に所蔵されている。

「グルンヴァルトの戦い」は、ポーランド王国とリトアニア大公国連合軍がドイツ騎士団に勝利を治めた1410年のグルンヴァルトの戦いを描いたものである。また、東ヨーロッパの緒公国の闘争の歴史を描いた、ポーランドの歴史で最も勇ましく表現されている絵画の一つである。
グルンヴァルトの戦い
グルンヴァルトの戦いは、1410年7月15日、ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団の間で戦われた戦闘である。
現在ポーランドのヴァルミア・マズールィ県にある、グルンヴァルト村・ステンバルク(タンネンベルク)村とウォドヴィゴヴォ村の間にある平原で戦われた。
この戦いで勝利をおさめたポーランド・リトアニアはさらに勢力を拡大、ヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになる。
画題
この絵の中心は白い騎士団の服装に白い馬に乗ったドイツ騎士団の最高指導者、ウルリッヒ・ヴォン・ユンギンゲンが無名の2人の人物によって殺されている場面である。美術史家ダヌータ・バトロスカはこの2人を「粗野に見えるリトアニアの農民」と見ていて、槍兵の隣は死刑執行人、騎士団が一般人を奇襲し略奪したことでユンギンゲンが受けた罰を象徴している。
もう一つの焦点は赤い服を着たリトアニア大公ビータウタスが剣を持ち上げている姿だ。従兄弟のポーランド王ヤギエヴォ・ウラディスラフよりも戦いを指揮したビータウタスに焦点が置かれている。マティコは、ポーランドにとってのリトアニアの重要性、またポーランド・リトアニア2国間の協力の価値を強調し、それはヤン・ドゥウゴシュの描法に影響されたと考えられている。死体の上空ではポーランドの守護聖人スタニスラウスが戦いを見下ろしている。
愛国者ヤン・マテイコ
マテイコは、ポーランド史の重要なテーマに的を絞り、歴史上における精密な細部について、史実を描くために歴史資料を用いた。
彼は歴史画で2つのグループをつくった。初期のものは1862年にスタンチクを描いた絵で始まった。愛国心の欠如している権力者たちが引き起こした、彼の意見でいうところの『ポーランドの没落』に対して向けられた作品である。
第2のグループは、一月蜂起の後に描かれた物で、ポーランド史の有名な事件に捧げられている。マテイコはポーランド史に残る多くの主要な事件・戦闘を描いた。最も有名な作品は、1410年にポーランドがドイツ騎士団に勝利を収めた戦いを描いた、『グルンヴァルトの戦い』(Bitwa pod Grunwaldem)である。絵には『明白な愛国者の努力』が見える。 「ポーランド人の愛国主義の無比のイコン」として国際的な喝采を集めた。
ナチスが欲した絵画
他の多くの作品と同様、「グルンヴァルトの戦い」はナチスドイツによる占領中は隠されていた。「プロイセンの臣従」と共に、この絵画はポーランド文化のあらゆる工芸品の物理的破壊活動に従事したナチスが作成した、”最も手に入れたい”絵画リストの2作品のうちの一つであった。
作品はその年、ワルシャワの私人デビッド・ローゼンブラムが購入し、1902年美術奨励団体がローゼンブラムの相続人から購入、現在ワルシャワ国立美術館が所蔵している。
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