作品概要

デュ・バリー夫人》は、画家のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによって制作された作品。制作年は1781年から1781年で、個人蔵に所蔵されている。

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ルイ15世の愛人

ルイ15世の愛人だったデュ・バリー夫人(1743 – 1793)は、最下層の社会階級からヴェルサイユ宮殿に出入りするまでにのし上がり、フランス革命によってギロチンにかけられる、という波乱万丈の人生を送った。ヴィジェ=ルブランは、常に目を細めて流し目をしている彼女のなまめかしい魅力に敬意を払って肖像画を描いている。

彼女が着ているやわらかな風合いのモスリンのドレスは、すぐに流行することとなった。もとは羊飼いが着ていたこのドレスは、当時普通だったコルセットとパニエがなく、非常にリラックスした服装だった。また、軽い素材で涼しく、夏に適したドレスである。

貧しい家庭から国王の公妾へ

デュ・バリー夫人、本名ジャンヌ・ベキュは、フランスのシャンパーニュ地方の貧しい家庭に私生児として生まれた。その後パリに渡るが、美しさ故に色恋沙汰を起こして仕事が長く続かず、さまなまな職業を転々とする。そんな中、高級娼婦の斡旋をしていたジャン=バティスト・デュ・バリーの目に留まり、彼の愛人となった。デュ・バリーは彼女をパリ社交界の高級娼婦へと育て上げた。

様々な貴族の愛人となったが、ルイ15世の公妾となるためにデュ・バリーの弟と結婚して爵位(伯爵夫人)を得、公妾となってからは宮廷内で大きな影響力を持つようになった。生来の愛嬌の良さから仲間は多かったが、敵も多く、マリー・アントワネットと対立していたことは有名である。

ルイ15世の死後はパリ郊外で暮らしたが、フランス革命が起こり、亡命貴族たちを援助した罪で捕らえられ、ギロチンによる死刑を宣告された。処刑の際は多くの貴族たちと違って、泣き叫び許しを請うたという。彼女はルイ16世やマリー・アントワネットと同様、パリのマドレーヌ墓地に埋葬されている。

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基本情報・編集情報

  • 画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
  • 作品名デュ・バリー夫人
  • 英語名未記載
  • 分類絵画
  • 制作年1781年 - 1781年
  • 製作国フランス
  • 所蔵個人蔵 (不明)
  • 種類油彩
  • 高さ86cm
  • 横幅66cm
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