作品概要
《荘厳の聖母(オニサンティの聖母)》は、画家のジョット・ディ・ボンドーネによって制作された作品。制作年は1310?年から1310?年で、ウフィツィ美術館に所蔵されている。

フィレンツェに残っている1314年から1327年の会計記録によると、ジョットは《荘厳の聖母》という名で知られる祭壇画を制作している。完成された時期は約1310年頃であると言い伝えられている。
ジョット作の貴重な作品
本作は、現在チマブーエの《サンタ・トリニタの聖母》、ドゥッチョの《ルチェライの聖母》と並べられ、ウフィツィ美術館に展示されている。『荘厳の聖母』には来歴が全く残っていないが、多くの学者からジョットが描いた唯一の板絵であると考えられている。
ジョットの作品については作者を特定するのに残された資料が少ない場合が多いと言われているが、この作品に関しては珍しくジョットが作者だと明確に言及している資料が残っている貴重な作品である。
幾つかの資料にて、《荘厳の聖母》はジョットがフィレンツェにて創作したと示されているが、1447年に出版された彫刻家ロレンツォ・ギベルティの自伝が一番決定的な証拠となった。
オニサンティ教会
この作品はフィレンツェの、現在ではどういった教団が創設したのか判然としないものの、フィレンツェにあるオニサンティ教会のために描かれた祭壇画であった。その頃、教会はキリスト教上のとある規定を満たすため、様々な美術作品の創作を発注しており、『荘厳の聖母』は祭壇に飾られる計画だった。
ジョット後期作品の一つであり、彼がフィレンツェに戻られた頃に創作を終えている。
当初の計画として、作品は完成後フィレンツェのオニサンティフランシスコ教会に飾る予定であった。
《荘厳の聖母》は3メートル以上の非常に大きな作品であり、聖堂の主祭壇画として教団の修道士のために描かれたものか、あるいは聖歌隊席の仕切りに使用されて会衆の信徒の目に触れることを目的に描かれたものなのか、学者の間でも見解が分かれている。
西洋美術史上最も重要な作品のひとつ
本作は、玉座に聖母マリアと幼子イエスを描き、その左右に複数人の聖人を配する祭壇画(宗教画)独特の図式「聖会話」を主題とする祭壇画の原型になった作品。
西洋絵画の祖と称されるジョットを研究する上での基準作品として、西洋美術史上最も重要な作品のひとつとして広く認知されている。
ルネッサンスの契機
このような、キリストを抱える聖母マリアをテーマとした作品はマエスタ(Maestà)と称されており、当時はこのような構図がとても流行であった。マエスタはゴシックアートの制約から逃れ新たなる自然主義を創立し、ルネッサンス期の最初の一枚であるとも言われていた。
中央の玉座に描かれた荘厳な聖母マリアは、それまでの平面(様式)的に描かれることが通常であった聖母子像から、画家は劇的なまでに聖母と幼子イエスの内面性まで深く表現されている。
さらに周囲に集まる聖者たちに祝福のポーズで応える幼子イエスは、過去の絵画様式とは全く異なり、威厳の中にもキリストの神秘性と不可侵性を表現している。
また本作には教会堂建築が主で、リブ-ボールト(肋骨穹窿)・バットレス(控え壁)・尖頭アーチを構成要素とし、広い窓、高い尖塔や尖頭アーチなどの垂直線から生じる、強い上昇効果を特徴とした12世紀中頃北フランスに始まる一大様式で、数十年の後に諸外国へ伝達し、それぞれの国で独自の発展を遂げた「ゴシック様式」の美が明確に示されている。
こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。