作品概要
《ヴィーナスの誕生》は、画家のサンドロ・ボッティチェリによって制作された作品。制作年は1483?年から1483?年で、ウフィツィ美術館に所蔵されている。

メディチ家の依頼
ボッティチェリは、親しいパトロン、フィレンツェ・メディチ家のロレンツォ・デ・メディチ(ピエルフランチェスコの従兄弟)の影響を受けた、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチから、この絵画作品を依頼されたのではないかといわれている。作品は、ギリシャ神話の「海より出づるウェヌス(Venus Anadyomene)」をモチーフにし、大人の女性として海から現れ、岸に到着する女神ヴィーナスが描かれている。
本作品は、イタリア・フィレンツェのウフィッツィ美術館に展示されている。ヴィーナスの誕生の図像は、詩人アンジェロ・ポリツィアーノの詩『馬上槍試合』の中の行事の描写(むしろ人物像の描写)に類似性がみられる。この絵画の正確なイメージを示す原典はまったく存在しないが、学者たちによって、たくさんの解釈とその由来が導き出されている。
絵画とメディチ家にまつわる言い伝え
現在では、「ヴィーナスの誕生」は、メディチ家のもうひとりのメンバー、ロレンツォ・デ・メディチを祝い、讃えるために制作されたとみられている。
言い伝えでは、ボッティチェリの描くヴィーナスは、ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチが、とても夢中になっていた愛人シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチを描いたといわれている。シモネッタは、偶然ではなく、リグリアの海辺の町ポルトヴェーネレ(ヴィーナスの港といわれる)に生まれている。
ネオ・プラトニズム
イタリア・ルネッサンスを専門とする美術史家は、この絵画に、ネオ・プラトニズムの解釈を見出しており、特に美術史家エルンスト・ゴンブリッチは、この絵を理解する、もっとも永続的な解釈であると述べている。
ボッティチェリは、裸体のヴィーナスで、神の愛であるネオ・プラトニズムの思想を表現したと考えられている。ボッティチェリは、古代ギリシアの有名な画家アペレスを再現しようとしており、同時に「ヴィーナスの誕生」は、フィレンツェの市民であるロレンツォ・デ・メディチの特別な性質の証拠ともなっている。
時代背景
ボッティチェルリが生きた15世紀半ばから16世紀初頭のヨーロッパ社会は、キリスト教が強い支配力を持つ中世期から、のちに近代へ繋がっていくルネサンス期へと至る文化的・思想的な変革の時代の中にあった。
そして《ヴィーナスの誕生》という作品も、このような当時の社会の状況に強く影響を受けて描かれたものであった。
作品の構成・主題
この作品は、そのタイトルからも分かるように、ギリシャ神話におけるヴィーナス誕生の物語を表現したもの。ギリシャ神話の中で、愛の神であるヴィーナスは海の中から成人の女性の姿で生まれてきたとされている。
ギリシャの神々
ここでは、海から生まれたヴィーナスが貝の上に乗り、風に運ばれてギリシャの理想郷ヘスペリデスの果樹園に辿り着く場面が描かれている。向かって左側で抱き合っている二人の人物は、西風の神ゼフュロスとその妻である花の神フローラ。
ゼフュロスは強い風を、フローラは温かい溜息を吹きかけてヴィーナスを岸辺へと運んでいる。向かって右側の岸辺でヴィーナスを迎えるのは季節の神ホーラー。ホーラーが身に纏っている服にはヤグルマギクの、ヴィーナスに差し出しているマントにはヒナギクの刺繍が施されている。
愛と美
愛の神ヴィーナスの甘美な姿を描いたこの作品の大きなテーマは、愛と美であると考えることができる。ヴィーナスを運ぶゼフュロスとフローラも、情熱的な恋を実らせて結ばれた夫婦だ。
またこれらのテーマは、温かい風や季節の神ホーラーの服の刺繍が呼び起こす美しい春のイメージとも密接に結びついている。春は誕生の季節であり、また恋の季節であるという発想は、現代の日本で生活している私たちにも共通する感性であると言うことができる。
作品の思想史的意義
中世キリスト教においては、人間は根本的に卑しい存在と考えられてきた。人間は生まれながらにして罪を背負った存在であり(これがキリスト教の「原罪」という教え)、最後の審判でこの罪を許されることが、人間の生の最終目的である神による救済を意味する、というのがキリスト教の基本的な考え方である。
このような考え方から、中世においては審判が下る前の現世の人間は否定的に捉えられており、特に人間の身体は諸悪の根源であるとされていた。だから現世の人間は厳しい禁欲を自らに課さなければならず、人間が救済されるということは、肉体から解放されて純粋に精神的な存在になることに等しかったのだ。
それに対して、ルネサンスの人間観は逆に現世の人間に積極的な価値を見出し、それを肯定的に捉えるものであった。これはより具体的に言えば、目に見えるものや手で触れられるもの、実際に生きている人間の生活の価値を尊重しようとする考え方であり、禁欲ではなくむしろ自由に快楽を求めることをすすめる態度だという。
ルネサンスという言葉はフランス語で「再生」を意味するが、これは厳格なキリスト教の教えが社会を支配する以前の時代、すなわち古代の文化や思想をもう一度復興させるという動きを示すものだ。
ルネサンスと《ヴィーナスの誕生》
以上のような、それまで支配的だったキリスト教の教えから、それとは対照的な新しいルネサンスの思想へと至る過渡期に時代に描かれたのが、ボッティチェルリの《ヴィーナスの誕生》となっている。
それゆえこの作品には、相反する両者の世界観や人間観をうまく調和させるような独特の思想が表現されている。それが、15世紀のフィレンツェでメディチ家の人々が大きく取り入れた新プラトン主義という思想だ。
新プラトン主義
新プラトン主義とは、古代ギリシャの哲学者プラトンの思想を、ルネサンス期の人々が応用したものを指す。特にボッティチェリと同じくメディチ家の保護を受けた思想家マルシリオ・フィリーノは、プラトンの思想を研究するサークルであるプラトン・アカデミーを主催し、そこでボッティチェルリにも直接的な影響を与えたと言われる。新プラトン主義の具体的な考え方は、以下のようなものであった。
プラトンは、人間が目で見たり手で触れたりできる感覚的な世界は、イデア界という純粋に精神的な真実の世界の影のようなものだと考えていた。例えば、「人間が何かを見て美しいと感じるのは、イデア界にある美のイデアの反映が、人間の心の中に刻まれているからである」というように考えていた。
プラトンはこのようにして、精神的な真実の世界であるイデア界と、具体的で物理的な人間の世界とを区別し、前者にこそ価値があるという思想を展開した。現在でも「プラトニック(=プラトン的な)」という言葉は、「精神的な」という意味で使われている。
このようなプラトンの考え方を応用して、精神的な世界と感覚的な世界の繋がりを強調したのが、新プラトン主義という思想である。
「人間は感覚的なもの、目に見えるものから出発して、精神的な価値へと高まっていく能力を与えられている」という言葉をフィチーノは残している。
すなわち、精神的な世界と感覚的な世界は絶対的に分離しているわけではなく、むしろ人間はその区別を乗り越えることができるのだとするのが、新プラトン主義の考え方なのである。
この思想は、人間の価値や具体的な生活、感覚的なものを肯定し、キリスト教の教えとルネサンスの思想を調和させる役割を果たした。
新プラトン主義者ボッティチェルリ
以上のような、人間にとっての精神的なものと感覚的なものとの繋がりにおいて、特に重要だったのが愛と美だ。愛と美は、キリスト教の教えの最大のテーマの一つであると同時に、ルネサンス期の人々が積極的に肯定しようとした自由な快楽の追求と最も強く結びつく要素であった。
だからこそ、キリスト教徒であると同時に新プラトン主義者でもあったボッティチェルリが、愛と美をテーマとして、《ヴィーナスの誕生》を描いたことには、歴史的・社会的に非常に大きな意味があったのだと言わなければならない。描く題材としてヴィーナスが選ばれたことは、二つの側面から必然だったと考えることができる。
2つの必然
一つ目は、既に述べた通り、愛と美というテーマとの関係からです。そして二つ目は、これも既に述べたことだが、ルネサンスが、古代の文化や思想の復興の運動であったということだ。
ボッティチェルリにとって、そして15世紀のフィレンツェに生きる人々にとって、キリスト教以前の神話上の人物を描くということ自体が、古代の復興を象徴する行為であった。
ギリシャ神話は、プラトンがその思想を展開する基盤にもなったものなので、ボッティチェルリをはじめとする新プラトン主義の人々にとっては特別な題材だった。
つまり、ボッティチェルリが描いたヴィーナスが体現する愛や美とは、キリスト教的で神聖な、精神的なものであると同時に、ルネサンスの人々が追い求めた世俗的で官能的な、感覚的・身体的なものでもあるということだ。
このヴィーナスは精神と感覚の調和の証であり、キリスト教の教えとルネサンスの思想の調和の証でもある。
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